曽枳能夜神社
そぎのやじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】曽枳能夜神社 出雲国 出雲郡鎮座
          (旧地)曽枳能夜神社旧地【仏経山】
          (境内社)韓国伊太弖奉神社

   【現社名】曽枳能夜神社
   【住所】島根県出雲市斐川町神氷823
       北緯35度21分59秒、東経132度49分3秒
   【祭神】伎比佐加美高日子命
       (合祀)伊邪那美命 速玉男命 予母都事解男命

   【例祭】10月19日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「曽伎乃夜社」『出雲国風土記』
       寛文11年(1671)造営
       元禄11年(1698)造営
       享保3年(1718)造営
       延享2年(1745)造営
       宝暦14年(1763)造営
       安政5年(1858)造営
       明治5年2月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】往古には仏経山の頂に鎮座
        その後現在の地に

   【祭祀対象】本来は神名火山(仏経山)を祀る
   【祭祀】
   【社殿】本殿大社造金属板葺
       幣殿・拝殿・社務所・神庫

   【境内社】韓國伊太弖奉神社・出雲大社御分霊社・釜神社

風土記の「曽伎乃夜社」に相当する。
『出雲国式社考』に「氷室村の神名備山俗に仏経山と云ふの山の上に曽枳大明神・山上大明神・権現社とて三社あり。一社は此社、一社は韓國伊太氏神社、一社は不在官帳の支比佐社なり」とある。
神名火山は「伎比佐加美高日子命の坐す山」であり、当社はその神名火山を神体とする社であつたと考えられる。
境内社の若宮社を、式内社・韓国伊大弖奉神社とする説もある。
拝殿に対面した形で、岩盤があり、「御祭神 神魂伊能知奴志之命 ( かんむすびいのちぬしのみこと )氏神伎比佐加美高日子命の御祖神にして延命長寿の神なり。」とある。


由緒

曽枳能夜神社祭神、伎比佐加美高日子命、式内社である。
出雲風土記 神名火山の条に「曽枳能夜神社に坐す伎比佐加美高日子命社、即ち此の山の嶺に在り、故に神名火山と云う」と見ゆ。
祭神 伎比佐加美高日子命は、この地方(キヒサの里)の首長神であり、出雲大神の祀主である。
古事記 垂仁天皇の条に見える「出雲国造の祖、伎比佐都美と同神であり同条に云う「石クマの曽の宮」は当社である

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



曽枳能夜神社

御由緒略記
曾枳能夜神社
 御祭神 伎比佐加美高日子命
 当社は、延喜式内社で、出雲風土記に「神名火山(中略)曾枳能夜社に坐す伎比佐加美高日子命社、即ちこの山の嶺に在り。故れ神名火山と云ふ」と記されてあります。
 御祭神はこの地方(キヒサの里)一帯を守ります首長神であり、出雲大神の祭り主でありました。
 古事記垂仁天皇の条に見られます「出雲国造の祖、伎比佐都美」は当社の御祭神であり、同条「石の曾の宮」とは当社であると考えられます。
 明治5年2月郷社に列せられています。
 例祭日 10月19日
合殿 熊野神社
 御祭神 伊弉册命・速玉男命・豫母都事解男命
 当社は天正年間広島甲田城主宍戸隆家が熊野より勧請せし社であります。修験者(山伏)による「延命長寿、極楽往生」を祈願する道場でありました。
 元神氷字宮谷にありましたのを、明治44年4月9日に本社に合祀されました。
 例祭日 4月9日
韓國伊太氏奉神社
 御祭神 素戔嗚命・五十猛命
 当社は、延喜式内社で、出雲国内六社の中の一社であり出雲風土記には、審伎乃夜社と記されています。
 御祭神は植林・殖産興業の神であり、「韓国」の名称や「からのそほりの命」との別名は、古代出雲と韓国との間の深い交流を知ることができます。
 元神氷字宮谷に在りましたのを明治44年4月9日、本社境内に遷座されました。
 例祭日 旧2月6日
その他、境内には岩神(神魂伊能知奴志命)、若宮社(土租神)、支比佐社(伎比佐加美長依彦命)が在ります。

社頭掲示板



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