出雲国風土記では「企豆伎社」の「同社」の一つに当てている。今では一般的に「乙見(おとみ)社」と呼称している。 千家俊信は『式社考』に於て「玉江とは、昔菱根池といひて大なる池ありけり、甚廣くて湖の如くなりけり、其江の名を玉江といひしなり、今は其池埋れて既田になれる、俗に新田五ケ村と云是なり、(略)其池の入江の南なる地を入南といひ、其江を田にしたる故江田と云、昔は彼の入南にありしを、寛文の頃今の地に移し奉りき」と述ベている。 |
大穴持御子玉江神社 乙見社 祭神 下照比売命 この神は大国主大神の御子神で又の名を稚国玉神とも申し上げ女神ながら国土経営に力を尽くして大神をお輔けになった神であります。 祭日 1月18日、6月1日 社頭掲示板 |