出雲国風土記の「御津社」に相当する。 古くこの浦を一望のもとに見下ろす上松権現の地に鎮座したが、のち約五500m東の字東(あずま)の地に遷し、それを更に西南約500mの字鹿島谷の本地に遷し、しかして明治43年2月15日現在地に遷した。 |
御津神社 御津神社 ( 三津浦 ) 御祭神 伊弉諾命 ( いざなぎのみこと ) 伊弉册命 ( いざなみのみこと ) 歴史の足跡。 出雲国風土記楯縫郡条に 「 御津社 」、延喜式に 「 御津神社 」 とみえる式内社である。 その鎮座空間は、風土記に 「 御津浜 広さ 三十八歩 」、「 御津島紫菜 ( むらさきのり )生ふ 」 とみえる。 宝永7年 ( 1710年 ) の 「 雲州四十二浦之詠歌 」 では、「 三津浦 熊野神社 」 となっている。熊野神社は享保2年 ( 1717年 ) の松江藩の地誌 「 雲陽誌 」 では「 六所神社 」 といなっており、祭神として伊弉諾命・伊弉册命の両神、 天照大神、素盞嗚命、天児屋根命、瓊瓊杵命 の六神を挙げている。 「 熊野 」 は 「 諾册の両尊 」 に祭祀が限定された時期の呼称と思われる。 「 雲陽誌 」 は同社を 「 風土記に残る御津社是なり。」 としている。今の御津神社ということであろう。 現在は海岸から離れた内陸に鎮座しているが、かつては 「 御津 」 に相応しく 「 浦 」 に鎮座していたと思われる。 社地の変遷は数度に及ぶとされる。 上松権現・東の社・本地社への変遷が想定されているが、確かではない。 海岸近くの字 「 本地 」 が「 本地社 」 の鎮座地であれば、その地が御津神社の 「 本地 」 と考えられよう。 祭礼として毎年一月の第二日曜日に古伝の御敵神事、餅撒き神事をともなう田植の神事が行われている。 島根半島四十二浦巡り再発見研究会 社頭掲示板 |