多久神社
たくじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】多久神社 出雲国 楯縫郡鎮座
          (旧地)多久神社(旧地)

   【現社名】多久神社
   【住所】島根県出雲市多久町274
       北緯35度28分17秒、東経132度50分55秒
   【祭神】多伎都彦命 天御梶姫命
       (合祀)猿田彦命 鈿女命

   【例祭】10月15日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】安康天皇甲子11月近江国から勧請とも伝
       天平5年(733)2月30日「多久社」『出雲国風土記』
       大永7年(1527)造営
       天明6年(1786)由来記に記載
       明治4年7月郷社
       明治44年9月20日神撰幣帛料供進指定社

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは大船山に鎮座とも伝
       移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「大船大明神」と称していた
   【社殿】本殿大社造檜皮葺
       拝殿

   【境内社】

出雲国風土記の「多久社」に相当する。
風土記楯縫郡神名樋山の條に、「郡家東北六里一百六十歩。高一百廿丈五尺、周廿一里一百八十歩。嵬西在石神。高一丈、周一丈許。側在小石神百余許。古老博云、阿遅須棋高日子命之后天御梶日女命來坐多久村、産給多伎都比古命。爾時教詔、汝命之御祖之向位欲生、此処宜也。所謂石神者即是多伎都比古命之御魂、當旱乞雨時令零也」とある。阿遅須枳高日子命の后・天御梶姫命が当地で、多伎都彦命を生んだという。 別の縁起もあって、安康天皇の御代、近江から勧請し、大船山に鎮座したという。


多久神社

多久神社由緒概要
鎮座地 平田市多久町274番地
祭神  多伎都彦命 天御梶姫命
猿田彦命 鈿女命
祭儀  例大祭11月3日 他に恒例祭六回
境内神社 客神社 伊弉諾命 伊弉冊命
     若宮神社 宇賀魂神外三神
由緒
延喜式内社 出雲風土記所載
旧社格 郷社 明治4年7月列格
猿田彦命、鈿女命は拝田神社(字持田)の祭神であったが、明治39年12月30日本殿に合祀された。
延喜式神名帳並びに出雲風土記に多久ノ社、楯縫郡多久村大布彌大明神と記され、今で云う大船山の嶺の西に「石神あり、高さ一丈、周り一丈ばかり、側に小石神百余ばかり」古老の伝え云うには「阿遅須択高日子ノ命の后、天御梶日女命が多久村においでになり、多伎都彦命を産み給うた聖地である。即ち、所謂石神(烏帽子岩)は多伎都彦之命の御魂であり、旱にあいて雨を乞う時は必らず零らせたまえり」と記されている。
神名樋山と簓神事
出雲風土記にある四つの神名樋山の一つである。大古神様をお迎いし、斎場としてふさわしい清浄で最適の勝地で、秀麗な山であり海が見えることが条件であった。この神名樋山が大船山であり、多伎都彦命を祀る御社はこの麓にある多久神社である。
その昔、大船山麓まで海であった。遥か彼方近江国より、松本一族を始め大衆が大船大明神を供奉して、多久の郷へ大波小波を乗り超えやっとの想いで辿り着いた。その昔を偲ぶため鼓と簓などを用いて音を擬し、簓舞神事(昭和49年県無形文化財指定)として今日に至っている。この神事は、毎年例祭前夜と当日の二回行なわれ、石広、小北、湯屋谷尻、宮脇、新屋敷、大西、羽根屋、廻ノ奥の八軒の家で奉仕されている。
平成13年10月
多久神社由緒概要記より

社頭掲示板



多久神社ささら舞

出雲市多久町 多久神社のささら舞保持者会
 旧平田市多久町の多久神社の例祭で奉納される田楽(でんがく)は「ささら舞」と呼ばれています。島根県内には四つの田楽躍が伝承されていますが、その一つで、多久(たく)神社にゆかりの氏子らによって伝えられています。ささら舞の始まりには次のような言い伝えがあります。昔、近江国松本村から、松本一族が船に乗って当地へ移住してきた。その船は大船山となり、祀る神は大船(おおふな)大明神となった。そして船旅の苦難をしのんで「ささら舞」を始めたというのです。今も松本姓の7家と多久和姓の1家(相撲が上手かった当地の実力者と言い伝えられています)とで、粛々と行われる儀礼的なものです。楽器は腰に着ける鼓、大ザサラ(ビンザサラ)、小ザサラ(擦りザサラ)で、大波・小波の舞などを行います。ささら舞が終わると大ザサラを持って個別の舞、そして儀礼的な相撲が行われます。島根県指定無形民俗文化財。

島根県立古代出雲歴史博物館



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