美保神社
みほじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】美保神社 出雲国 島根郡鎮座

   【現社名】美保神社
   【住所】島根県松江市美保関町608
       北緯35度33分45秒、東経133度18分21秒
   【祭神】三穗津姫命 事代主神
       (合祀)神屋楯比賣命 沼河比賣命 媛蹈鞴五十鈴媛命 五十鈴依媛命 稻背脛

   【例祭】4月7日 例祭
   【社格】旧国幣中社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「美保社」『出雲国風土記』
       元亀元年(1570)兵災
       文禄5年(1596)社殿再建
       慶長6年(1601)堀尾氏銀子七十匁寄進
       寛永15年(1638)松平氏銀子七十匁寄進
       文化10年(1813)造営
       明治5年郷社
       明治7年県社
       明治18年国幣中社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「美保関大明神」「美保両社大明神」と称していた
   【公式HP】 美保神社
   【社殿】本殿美保造
       拝殿・神門・社務所・神事会所・船庫

   【境内社】若宮社・今宮社・宮御前社・宮荒神社・船霊社・稲荷社
        隨身・沖ノ御前地ノ御前・客人社・幸魂社・地主社・久具谷社・客社
        切木社・幸神社・糺社・筑紫社・和田津見社・天神社・恵美須社・市恵美須社・天王社

   【境内図】 境内図

主祭神として右殿に事代主命、左殿に三穂津姫命を祀り、配祀神として中央装束の間に大后社・姫子社・神使社の三社を祀るとなつている 。装束の間の三社はもともと境内の前庭にあつたのを元亀元年(1570)の兵災に罹つてから本殿の方に遷した。
風土記のころにはこの郷の祖神たる美保須須美命を祭神とするものであつたが、記紀神話の下降に伴い、国譲りの話で有名な三穗津姫・事代主の両神を祭神とするにようになり、さらには主として事代主命の方をもつて祭神とするに至つたものと考えられる。
当社には氏子の間にきわめて嚴重な頭屋組織がある。
美保神社の古伝祭。お祭りの運営組織を町衆が一切を取り仕切る当屋制度(古代における祭祀の原型)が室町時代にシステムとして確立され、里人(頭人)の口伝により営々として伝承されており、12月3日の諸手船神事と4月7日の青紫垣神事は対をなす、美保神社を代表する神事であり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。


由緒

美保神社略記
御祭神
三穂津姫命(みほつひめのみこと)別号大御前(おほごぜん)左殿(向って右の御殿)
事代主神(ことしろぬしのかみ)別号二御前(にのごぜん)右殿(向って左の御殿)
事代主神
天照大神の御弟須佐之男命の御子孫で、出雲大社に鎮ります大國主神の第一の御子神様にましまして、天神の系を承けさせられた尊い大神様である。夙に父神を御扶けなされて國土の経営産業福祉の開発におつくしになった。天孫降臨に先だち天つ神の使の神が出雲にお降りになって大國主神にこの國を天つ神に献れとお傳へになった時、事代主神はたまたまこの美保碕で釣魚をしておいでなされたが、父神のお尋ねに対し、畏しこの國は天つ神の御子に奉り給へと奉答せられ、海中に青柴垣(あをふしがき)をお作りになり、天逆手(あめのむかへで)を拍っておこもりになり、大國主神はそのお言葉通り國土を御奉献になったと傳へてゐる。かくて事代主神は多くの神神を帥ゐて皇孫を奉護し我國の建國に貢献あそばされた。又神武天皇綏靖天皇安寧天皇三代の皇后はその御子孫の姫神で、國初皇統外戚第一の神にあたらせられ、なほ古来宮中八神の御一柱として御尊崇極めて篤い神様である。
當神社古傳大祭である4月7日の青柴垣(あをふしがき)神事、12月3日の諸手船(もろたぶね)神事は、悠遠の昔、わが大神様が大義平和の大精神を以て無窮の國礎を祝福扶翼なされた高大な御神業を傳承顕現し奉るものである。
三穂津姫命
高天原の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御姫神にましまして、大國主神の御后神として、高天原から稲穂を持って御降りになり庶民の食糧として、廣く配り與へ給うた有難い大神様で、美保といふ地名はこの神の御名にゆかりありと古書は傳へてゐる。
御神徳
そもそも事代主と申す御神名は事知主の義であって、すべて世の中に生起するあらゆる事を辧ヘ知しめて是非曲直を判じ邪を避け正に就かしめられる事の大元を掌り給ふ意味で、平たくいへば人の世の日常の行為や行動を教導し主宰せられる偉大な御神徳を頌へ奉ったもので、大神様は実に叡智の本躰、誠(真実、真事)の守神と拝し奉る。又大神様を明神様・ゑびす様と申上げ釣竿を手にし鯛を抱かれた福徳円満の神影をゑがいて敬ひ親しみ、漁業の祖神、海上の守護神と仰ぎ、水産海運の御霊験の廣いことはあまねく知られて居る通りである。そして大神様の大義平和叡智推譲の御神徳、産業福祉の道をお拓きになった御神業、庶民慈育愛撫の御神恩を感謝尊崇し、福徳の神と仰ぐ信仰は極めて廣く行きわたってゐる。
又當社に古くから傳って居る波剪御幣(なみきりごへい)は大神様の海上守護の神徳に因んで、山なす狂乱怒涛をも推し切って航行を安泰ならしめ給ふ霊徳を表現した御幣で、延いて水災火災病難等原因の何たるを問ふことなく人生に起る狂乱障害を祓除し家内の安全家門の繁栄を守り給ふとしてこれが拝授を願ふ篤信者が多く、そのあらたかなる霊験は数多い開願報賽の絵馬によっても窺ふことができる。又経済商業に福運を授け給ふ神としての信仰は、今もいろいろ土俗に残り、商業の「手拍ち」は天の逆手の故事に起因すると申してゐる。
三穂津姫命は高天原の齋庭の稲穂を持ち降って農耕を進め給ふたので、當社には古くから御種を受ける信仰があり、安産守護の御神徳は、特に著しい。稲穂は五殻の第一である米を意味するのは勿論、農作物一切を代表し更に生きとし生けるものことごとくの生命力を表現してゐる。従って大神様は人間は云ふに及ばず一切の生物の生命力を主宰せられる尊い大神様である。故に古人はその御種について、「これを頂いて帰り時に従ってまけば早稲でも晩稲でも糯でも粳でも願望のものが出来る。然かのみならず麦でも大豆でも小豆でも出来る。まことに不可思議な事である」と感嘆してゐるが、田植後には農家の人達の豊穣祈願のお参りが盛んであり、12月3日の諸手船(もろたぶね)神事は一つに「いやほのまつり」ともいひ、豊穣感謝の意味もあってこれまた一般の参拝が頗る多い。
世界的文豪小泉八雲(ラフカディオ・ハ−ン)はその紀行文の一節に初夏の田園風景を叙し、美保神社の神札(世にせきふだと申す)が稲田に立てつらねられて居る状を白羽の矢のやうであると感心し青々とした田の中に白い花が点々と咲いたやうであるともいひ、この白羽の矢の立って居る処では蛭が繁殖しないし飢ゑた鳥も害をしないと書いてゐる。これは豊作守護のおかげを端的に言ひ表はしてゐるものである。
沿革
さて當美保関は前に述べたやうに大神様の御神蹟地であるばかりでなく、所造天下大神とたたへまつる大國主神がその神業の御協力の神少彦名命をお迎へになった所であり、又その地理的位置は島根半島の東端出雲國の関門で、北は隠岐、竹島、欝陵島を経て朝鮮に至り、東は神蹟地、地の御前、沖の御前島を経て北陸(越の國)、西は九州に通ずる日本海航路の要衝を占め、更に南は古書に傳へる國引由縁の地弓ケ浜、大山に接し、上代の政治文化経済の中心であったと考へられる。現に考古学上の遺跡や遺物によってもこれを窺ふことが出来る。かやうな訳で當神社は非常に古く此所に御鎮座になり奈良時代巳に世に著はれ、更に延喜式内社に列せられ、後醍醐天皇は隠岐御遷幸の砌り神前に官軍勝利、王道再興を御祈願になったと傳へるが、其後戦乱の世に軍事上、経済上の理由から群雄の狙ふところとなり、遂に元亀元年、御本殿以下諸殿宇を始めとして市街悉く兵火のため烏有に皈し、吉川廣家これを再興し日本海航路の発達と共に上下の崇敬を加へ明治18年には國幣中社御列格の御沙汰を拝し、更に明治21年には叡慮を以て御剣一口を御下賜あらせられた。
文化財
現在の御本殿は文化10年の造營であって、大社造の二殿連棟の特殊な形式で、世に美保造又は比翼大社造等と申し國の重要文化財に指定されてゐる。御本殿のかかる形式は文書によると天正年間にその痕跡が窺はれるが。現在の整備せられた構造は文禄5年吉川廣家が朝鮮にあって立願のため御造營をした時まで遡ることが出来る。拝殿以下は昭和3年の新營である。當神社の御祭神は鳴物を好ませ給ふと廣く信ぜられて種々の楽器の奉納品が多く、そのうちの八四六点は美保神社奉納鳴物として、又諸手船神事に用ゐる諸手船二雙及び社蔵のそりこ舟一雙は古代船舶の遺型を存するものとして共に國の重要有形民俗文化財に指定され又隠岐、中海沿岸で漁業に使用せられたトモド船及び沖縄のサバニ−は共に県の有形民俗文化財に更に社蔵の古筆手鑑は県の有形文化財に指定されゐる。
末社・其他
◎本殿、装束の間に奉齋する末社
 名稱       祭神
 大后社      神屋楯比売命、沼河比売命
 合祀姫子社    媛蹈鞴五十鈴媛命、五十鈴依媛命
 合祀神使社    稻脊脛
○境内に奉齋する末社
 若宮社      天日方奇日方命、
 合祀今宮社    政清靈
 合祀秘社     神号不詳
 宮御前社     埴山姫命
 合祀宮荒神社   奧津比賣命、土之御祖神、奧津彦命
 合祀船靈社    天鳥船神
 合祀稻荷社    倉稲魂命
 恵美須社     事代主命
 随身       豐磐間門命、櫛磐間門命
 御靈石
○境外に奉齋する末社
 沖之御前     事代主命、活玉依媛命
 地之御前     事代主命、活玉依媛命
 客人社      大國主命
 合祀幸魂社    大物主命
 天王社      三穗津姫命
 地主社      事代主命、或は御穗須須美命と傳ふ
 久具谷社     國津荒魂神、多邇具久命
 客社       建御名方命
 合祀切木社    久久能智神
 合祀幸神社    猿田彦神
 糺社       久延毘古命
 筑紫社      市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命
 和田津見社    大綿津見神、豐玉彦命、豐玉姫命
 天神社      少彦名命
 市恵美須社    事代主命
◇おもなる祭日
 1月1日     歳旦祭
   1日〜3日  元三祈願祭
   7日     初ゑびす祭
 毎月1日     月首祭
 毎月七日     月次祭
 2月節分     節分祭(除厄開運祈願)
  17日     祈年祭(敬神講春季大祭)
 4月7日     例祭 青柴垣神事
  13日     漁幸祭
 5月5日     神迎神事
 6月上旬〜7月下旬
          夏まゐり(五殻豊饒祈願)
 8月7日     虫探神事
12月3日     新嘗祭・諸手船神事(敬神講秋季大祭)
◇美保神社寶物館
 重要有形民俗文化財、美保神社奉納鳴物846点、重要美術品彩版墨書業平集断簡等を収蔵。又床下には重要有形民俗文化財「そりこ」縣指定有形民俗文化財「ともど」「サバニ−」等の船舶を展示。別館には重要有形民俗文化財で當社古傳祭諸手船神事に使用される「諸手船」を展示してゐる。
◇美保関観光案内
☆関の五本松と五本松公園(大山隠岐国立公園編入)
 民謡関の五本松節の哀調で知られた五本松を中心とした公園で、此処からの展望は絶賛 せられてゐる。
☆平和祈念塔 五本松公園の山頂にある。
☆美保関灯台 六十三万燭光の一等灯台で、遥かに隠岐国を望み遠く丹後が見えることも ある(當社より東へ車で一〇分)
☆沖の御前・地の御前 灯台直下の海上に浮ぶ。事代主神様が釣をなされた島と言ひ傳へ 今當社の末社、飛地境内地になってゐる。
☆沖の御前・地の御前遙拜所 美保関灯台の脇にあり沖の御前、地の御前を一直線上に拝 することが出来、更に大山、隠岐への眺望は実に雄大である。
☆仏谷寺 仏像重要文化財(當社より東へ五分)
☆美保の北浦・出雲赤壁 灯台から西、日本海に面する数浬の海岸一帯、怪岩奇石波涛を かんで景観雄偉、景勝指定地となってゐる。出雲赤壁は高さ四十丈巾二十丈の赤色の大 岸壁である。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



美保神社

御祭神
三穂津姫命(みほつひめのみこと)別号大御前(おほごぜん)左殿(向って右の御殿)
事代主神(ことしろぬしのかみ)別号二御前(にのごぜん)右殿(向って左の御殿)
事代主神 天照大神の御弟須佐之男命の御子孫で、出雲大社に鎮ります大國主神の第一の御子神様にましまして、天神の系を承けさせられた尊い大神様である。夙に父神を御扶けなされて國土の経営産業福祉の開発におつくしになった。
天孫降臨に先だち天つ神の使の神が出雲にお降りになって大國主神にこの國を天つ神に献れとお傅へになった時、事代主神はたまくこの美保碕で釣魚をしておいでなされたが、父神のお尋ねに対し、畏しこの國は天つ神の御子に奉り給へと奉答せられ、海中に青柴垣(あをふしがき)をお作りになり、天逆手(あめのむかへで)を拍っておこもりになり、大國主神はそのお言葉通り國土を御奉献になったと傅へてゐる。かくて事代主神は多くの神々を師ゐて皇孫を奉護し我國の建國に貢献あそばされた。又神武天皇綏靖天皇安寧天皇三代の皇后はその御子孫の姫神で、國初皇統外戚第一の神にあたらせられ、なほ古来宮中八神の御一柱として御尊崇極めて篤い神様である。
當神社古傅大祭である四月七日の青柴垣(あをふしがき)神事、十二月三日の諸手船(もろたぶね)神事は、悠遠の昔、わが大神様が大義平和の大精神を以て無窮の國礎を祝福扶翼なされた高大な御神業を博承顕現し奉るものである。
三穂津姫命 
高天原の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御姫神にましくて、大國主神の御后神として、高天原から稲穂を持って御降りになり庶民の食糧として、廣く配り與へ給うた有難い大神様で、美保といふ地名はこの神の御名にゆかりありと古書は傅へてゐる。
御神徳そもそも事代主と申す御神名は事知主の義であって、すべて世の中に生起するあらゆる事を弁へ知しめして是非曲直を判じ邪を避け正に就かしめられる事の大元を掌り給ふ意味で、平たくいへば人の世の日常の行為や行動を教導し主宰せられる偉大な御神徳を頒へ奉ったもので、大神様は実に叡智の本躰、誠(真言、真事)の守神と拝し奉る。
又大神様を明神様・ゑびす様と申上げ釣樟を手にし鯛を抱かれた福徳円満の神影をゑがいて敬ひ親しみ、漁業の祖神、海上の守護神と仰ぎ、水産海運の御霊験の廣いことはあまねく知られて居る通りである。
そして大神様の大義平和叡智推譲の御神徳、産業福祉の道をお拓きになった御神業、庶民慈育愛撫の御神恩を感謝尊崇し、福徳の神と仰ぐ信仰は極めて廣く行きわたってゐる。
又當社に古くから傅って居る波剪御幣(なみきりごへい)は大神様の海上守護の神徳に因んで、山なす狂乱怒濤をも推し切って航行を安泰ならしめ給ふ霊徳を表現した御幣で、延いて水災火災病難等原因の何たるを問ふことなく人生に起る狂乱障害を祓除し家内の安全家門の繁栄を守り給ふとしてこれが拝授を願ふ篤信者が多く、そのあらたかなる霊験は数多い開願報賽の絵馬によっても窺ふことができる。又経済商業に福運を授け給ふ神としての信仰は、今もいろいろ土俗に残り、商業の「手拍ち」は天の逆手の故事に起因すると申してゐる。
三穂津姫命は高天原の斎庭の稲穂を持ち降って農耕を進め給ふたので、當社には古くから御種を受ける信仰があり、安産守護の御神徳は特に著しい。稲穂は五穀の第一である米を意味するは勿論、農作物一切を代表し更に生きとし生けるものこと、ことくの生命力を表現してゐる。従って大神様は人間は云ふに及ばず一切の生物の生命力を主宰せられる尊い大神様である。故に古人はその御種について、「これを頂いて帰り時に従ってまけば早稲でも晩稲でも糯でも粳でも願望のものが出来る。然かのみならず麦でも大豆でも小豆でも出来る。まことに不可思議な事である」と感嘆してゐるが、田植後には農家の人達の農穣祈願のお参りが盛んであり、十二月三日の諸手船(もろたぶね)神事は一つに「いやほのまつり」ともいひ、農穣感謝の意味もあってこれまた一般の参拝が頗る多い。
世界的文豪小泉八雲(ラフカデイオ・ハーン)はその紀行文の一節に初夏の田園風景を叙し、美保神社の神札(世にせきふだと申す)が稲田に立てつらねられて居る状を白羽の矢のやうであると感心し青々とした田の中に白い花が点々と咲いたやうであるともいひ、この白羽の矢の立って居る処では蝗が繁殖しないし飢ゑた鳥も害をしないと書いてゐる。これは豊作守護のおかげを端的に言ひ表はしてゐるものである。
沿革
さて當美保関は前に述べたやうに大神様の御神蹟地であるばかりでなく、所造天下大神とたゝへまつる大國主神がその神業の御協力の神少彦名命をお迎へになった所であり、又その地理的位置は島根半島の東端出雲國の関門で、北は隠岐、竹島、欝陵島を経て朝鮮に至り、東は神蹟地、地の御前、沖の御前島を経て北陸(越の國)、西は九州に通ずる日本海航路の要衝を占め、更に南は古書に傳へる國引由縁の地弓ケ浜、大山に接し、上代の政治文化経済の中心であったと考へられる。現に考古学上の遺跡や遺物によってもこれを窺ふことが出来る。かやうな訳で當神社は非常に古く此所に御鎮座になり奈良時代已に世に著はれ、更に延喜式内社に列せられ、後醍醐天皇は隠岐御遷幸の砌り神前に官軍勝利、王道再興を御祈願になったと傳へるが、其後戦乱の世に軍事上、経済上の理由から群雄の狙ふところとなり、遂に元亀元年、御本殿以下諸殿宇を始めとして市街悉く兵火のため烏有に帰し、吉川廣家これを再興し日本海航路の発達と共に上下の崇敬を加へ、明治十八年には國幣中社御列格の御沙汰を拝し、更に明治二十一年には叡慮を以て御剣一口を御下賜あらせられた。
文化財
現在の御本殿は文化十年の造営であって、大社造の二殿連棟の特殊な形式で、世に美保造又は比翼大社造等と申し國の重要文化財に指定されてゐる。御本殿のかかる形式は文書によると天正年間にその痕跡が窺はれるが、現在の整備せられた構造は文禄五年吉川廣家が朝鮮にあって立願のため御造営をした時まで遡ることが出来る。拝殿以下は昭和三年の新営である。當神社の御祭神は鳴物を好ませ給ふと廣く信ぜられて種々の楽器の奉納品が多く、そのうちの八四六点は美保神社奉納鳴物として、又諸手船神事に用ゐる諸手船二隻及び社蔵のそりこ舟一隻は古代船舶の遺型を存するものとして共に國の重要有形民俗文化財に指定され又隠岐、中海沿岸で漁業に使用せられたトモド船及び沖縄のサバニーは共に県の有形民俗文化財に更に社蔵の古筆手鑑は県の有形文化財に指定されてゐる。
末社・其他
○本殿、装束の間に奉斎する末社
名稱     祭神
大后社  神屋楯比売命、沼河比売命
合祀姫子社 媛踏鞴五十鈴媛命、五十鈴依媛命
合祀神使社 稲脊脛
○境内に奉斎する末社
若宮社 天日方奇日方命
合祀今宮社 政清霊
合祀秘社 神号不詳
宮御前社 埴山姫命
合祀宮荒神社 奥津比売命、土之御祖神、奥津彦神
合祀 船霊社 天鳥船神
合祀 稲荷社 倉稲魂命
恵美須社 事代主命
随身 豊磐間門命、櫛磐間門命
御霊石
○境外に奉斎する末社
沖之御前@事代主命、活玉依媛命
地之御前A事代主命、活玉依媛命
客人社B大國主命
 合祀幸魂社大物主命
天王社C三穂津姫命
地主社D事代主命、或は御穂須須美命と傳ふ
久具谷社E 國津荒魂神、多遍具久命
客社F建御名方神
合祀切木社 久久能智神
合祀幸神社 援田彦神
糺社G久延毘古命
筑紫社H市杵嶋姫命、田心姫命、滞津姫命
和田津見社I大綿津見神、豊玉彦命、豊玉姫命
天神社J少彦名命
市恵美須社K事代主命

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