加賀神社【旧地】
かかじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】加賀神社 出雲国 島根郡鎮座
          (現在社)加賀神社

   【現社名】加賀神社【旧地】
   【住所】島根県松江市島根町加賀
       北緯35度34分42秒  東経133度2分55秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】天平5年(733)2月30日「加賀社」『出雲国風土記』

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初この地に鎮座
        その後現在の地に

   【祭祀対象】本来は加賀潜戸を祀る
   【祭祀】
   【社殿】
       

   【境内社】

出雲国風土記の「加賀社」に相当する。
もとは加賀の潜戸と称さる、国の名勝天然記念物に指定されている神窟内に鎮座。
いつの時代か未詳であるが、神窟内に鎮座していた加賀の社を南東二○町余の現在地に移したという。
出雲国風土記によると
 『ここに窟がある。 いわゆる佐太の大神のお産まれになった場所である。 お産まれになるそのときになると、弓箭が亡くなった。 その時枳佐加比売命が祈願して、「私の御子が麻須良神の御子であるなら、亡くなった弓箭よ出て来い」 と祈願された。 その時、角の弓箭が流れ出た。 その時お生まれになった御子は詔して、「これは私の弓ではない」 と投げ棄てた。 また金の弓箭が流れ出てきた。 これを持ち取って、「なんと暗い窟であろうか」 と仰せられ、岩壁を突き破って射通しなされた。 


加賀の潜戸

名勝天然記念物 加賀の潜戸 潜戸には、「旧潜戸」と「新潜戸」の二つがあり、「旧潜戸」は仏潜戸ともいわれ、みどり児の悲しい仏説に包まれた賽の磧があつて、亡くなった子どもたちが夜に積むという小石の塔が無数にに並んでいる。
「旧潜戸」は、小さい子どもの魂がたどり着く所として、毎年7月の初旬にはこの児たちの霊を祷る行事が催される。
「旧潜戸」から更に北へ350mほどの所には、「新潜戸」があり、この「新潜戸」は神の潜戸とも言われ、佐太大神の生誕の地として名高く、洞窟の天井から落ちる冷たい水滴は、「母の乳汁」とも呼ばれている。
洞窟は300m以上もあり船で通り抜けることかできる。
ここ「潜戸」は、細川幽斉、小泉八雲、志賀直哉など多くの有名人が訪れており、出雲国風土記をはじめ、古くからの書物に詳しく紹介されている。

社頭掲示板



加賀の潜戸

2つの洞窟のうち、岬の突端に位置するのが「新潜戸」。東・西・北の3方向に入口を持ち、長さ200mという広〜いトンネル。遊覧船が中に進むと鳥居が見えてきます。実は、佐太大神(松江市鹿島町の祭神)がここでお生まれになったと『出雲国風土記』に記されており、かつては加賀神社が鎮座する神域として深く信仰されていた場所だとか。ゆえに「神潜戸」の別名もあり、長年の浸食でできた自然の造形美はまさに神秘的な異空間。グラスボートから垣間見る澄んだ海中の美しさも手伝って、厳かな気分に浸れます。
陸寄りの洞窟「旧潜戸」は、遊覧船を降りて上陸することができます。一歩足を踏み入れてビックリ。そこに広がっていたのは、死んでしまった子どもの魂が集まる「賽(さい)の河原」。「仏潜戸」とも呼ばれ、幼くして先立った子どもたちへの思いや悲しみに満ちあふれた場所なのです。幅約20m、奥行き約50mの洞窟内には、供養のために積まれた石の塔が至る所に立ち、愛する子らに届けとばかりに衣服やおもちゃなどがお供えされています。奥深くまでビッシリと石塔や供物が並ぶ薄暗い洞窟は、まるで“あの世とこの世の境目”のようです。

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