出雲国風土記の「加賀社」に相当する。 もとは加賀の潜戸と称さる、国の名勝天然記念物に指定されている神窟内に鎮座。 いつの時代か未詳であるが、神窟内に鎮座していた加賀の社を南東二○町余の現在地に移したという。 出雲国風土記によると 『ここに窟がある。 いわゆる佐太の大神のお産まれになった場所である。 お産まれになるそのときになると、弓箭が亡くなった。 その時枳佐加比売命が祈願して、「私の御子が麻須良神の御子であるなら、亡くなった弓箭よ出て来い」 と祈願された。 その時、角の弓箭が流れ出た。 その時お生まれになった御子は詔して、「これは私の弓ではない」 と投げ棄てた。 また金の弓箭が流れ出てきた。 これを持ち取って、「なんと暗い窟であろうか」 と仰せられ、岩壁を突き破って射通しなされた。 |
加賀神社 「出雲国風土記」島根郡条にみえる「加賀社」は「延喜式」式内社であり、祭神は支(枳)佐加比売命である。佐太神社の祭神の佐太大神の生母に当たり加貿郷の祭神である。「加賀」は「かか」と読む。枳佐加比売命は「古事記」にみえる大国主大神を救済復活した蚶貝比売にあたり赤貝の霊神である。 「出雲国風土記」にみえる加賀潜戸の枳佐加比売命の出産神話は余りにも有名である。現在はこの智、字向田に鎮座しているが、古代においては潜戸内に鎮座していたのであろう。その潜戸について「出雲国風土記」は佐太大神誕生の時に母神が金の弓矢を射通して出来たと言い伝えている。宝永7年の雲州四十二浦之詠歌では「潜戸も岩屋は天照す神ぞ」と詠まれ、祭神に天照大神が加わっている。時に「伊勢さん」とも呼ばれ、本殿が神明造である点にも注目したい。なお、姉妹神の宇武加比売は南の法吉神社に鎮座している。 潜戸の洞窟は潜戸遊覧船(3月から11月まで運航)で見学が可能、加賀神社拝殿には奉納された、源平合戦、川中島の戦い、千石船を描いた大きな絵馬が飾られている。 島根半島四十二浦巡り再発見研究会 社頭掲示板 |