比婆山頂の熊野神社の里宮。 天文3年(1534)の天火により焼失した社殿を尼子氏が再興し、隆盛を極めたが、富田落城の兵火により全山鳥有に帰し、寛文13年(1673)に比婆山山麓に社殿を遷した。これが現在の里宮(熊野神社)である。その後正徳3年(1713)にまた元の比婆山山頂へ奥宮を再建した。 |
由緒 比婆山(標高330m)は、古事記に「かれ神さりましし伊邪那美の神は出雲の國と伯伎の國との境なる比婆之山に葬しまつりき」とあり国生みの女神伊邪那美命が葬られた処で山頂には安産・子授け子育ての久米神社があり遠く能義平野・大山・島根半島まで眺望できまた珍しい玉抱石やこの山にしか自生しない島根県の天然記念物である陰陽竹の群生地があります。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
比婆山由緒 比婆山は日本で一番古い歴史書「古事記」に、日本の国をつくられた女神(伊邪那美命)を葬られた場所として記されている由緒ある山です。 古事記原文 「故其所神避之伊邪那美神者葬出雲国境比婆山也」、抄訳(その神避りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国との境の比婆山に葬りき) 標高は約300mあり、伊邪那美命を祀る御陵峰、御陵を崇拝する社祠峰、夫の伊邪那岐命をみたてた妙見峰の三つの峰からなっています。 山頂には神事に用する浄水の湧く井戸や供饌米を自給した献穀田の跡があり、久米神社が祀られています。この「久米」の語源は「コムル(隠し奉る)」の意で伊邪那美命の霊をお祀りしたと伝えられています。 月山富田城を拠点に、中国十一州を統治した尼子氏が、守護の祭神として篤く崇拝したここ比婆山には、随神門をはじめとした社殿や五坊、鐘楼など整え神仏習合一山の隆盛を極めた跡をうかがい知ることができます。 また山頂から麓にかけて、陰陽竹(島根県指定天然記念物)や玉抱石、神龍石、玄武岩柱状節理の奇勝もあります。 安来市 平成24年3月 社頭掲示板 |