風土記の「久米社」に相当する。 水田からの比高約180mの比婆山の頂上に鎮座する。 習合時代の比婆山の図(『雲陽稽古知今図』所収)には、比婆山山頂は三峰に分れ、西の蜂に御陵、南の峰は妙見山で妙見宮があり、総持坊があり、東北東の峰は熊野神社として本殿・拝殿が陵を拝する様に建つている。その三蜂の間の低い所に高頂坊・金剛坊・山本坊・鐘撞堂があった。 社名は全国神社祭祀祭礼総合調査では熊野神社とされているが久米神社とする資料も多い。 神社で受けられる御朱印によると、山頂の宮は「比婆山久米神社」とあり、山麓の宮は「比婆山里宮熊野神社」とある。 |
由緒 当社は、延喜式内社であって出雲風土記には久米神社・熊野神社とも記されています。主祭神は伊邪那美命でありこの比婆山は、伊邪那美命の御神陵地としても有名で社殿奥の御陵がそれである。また尼子・松平(母里藩)の崇敬社として栄えてきたが時に子授・安産・子育ての守護神として出雲・伯耆など近在はもとより全国各地からの参詣者が多く人々の信仰を集めている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
走田神社 比婆山は日本で一番古い歴史書「古事記」に、日本の国をつくられた女神(伊邪那美命)を葬られた場所として記されている由緒ある山です。 古事記原文 「故其所神避之伊邪那美神者葬出雲国境比婆山也」、抄訳(その神避りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国との境の比婆山に葬りき) 標高は約300mあり、伊邪那美命を祀る御陵峰、御陵を崇拝する社祠峰、夫の伊邪那岐命をみたてた妙見峰の三つの峰からなっています。 山頂には神事に用する浄水の湧く井戸や供饌米を自給した献穀田の跡があり、久米神社が祀られています。この「久米」の語源は「コムル(隠し奉る)」の意で伊邪那美命の霊をお祀りしたと伝えられています。 月山富田城を拠点に、中国十一州を統治した尼子氏が、守護の祭神として篤く崇拝したここ比婆山には、随神門をはじめとした社殿や五坊、鐘楼など整え神仏習合一山の隆盛を極めた跡をうかがい知ることができます。 また山頂から麓にかけて、陰陽竹(島根県指定天然記念物)や玉抱石、神龍石、玄武岩柱状節理の奇勝もあります。 安来市 平成24年3月 社頭掲示板 |
熊野神社 比婆山略記 比婆山(標高320m)は古事記に「かれ神さりましし伊邪那美の神は出雲の国と伯伎の国との境なる比婆之山に葬しまつりき」とあり、国生みの女神伊邪那美命が葬られた処で、山頂には御神陵と安産、子授け、子育ての久米神社があり遠く能義平野、大山、島根半島まで眺望でき、また珍らしい玉抱石やこの山にしか自生していない島根県の天然記念物である陰陽竹の群生地があります。 平成3年11月 伯太町井尻公民館 社頭掲示板 |
比婆山久米神社 比婆山は「古事記」に記された国生みの神、伊邪那美命(イザナミノミコト)の御陵だと伝えられています。 標高320mの山頂付近には、これを祭神とする久米神社奥の宮があり、麓には久米神社下の宮があります。古くより各地の豪族の崇拝が厚く、その後尼子氏や母里藩の祈願所として栄えました。 現在も、安産の神様として多くの参拝者が訪れています。 陰陽竹 山頂付近には男竹に女性的な笹のついた「陰陽竹」も分布しています。真竹に似た茎に笹のような大きい葉をつけているのが特徴。 全国的にも極めて珍しく貴重な竹として、昭和47年に島根県の天然記念物に指定されました。 学名「ヒバノバンブ−サ・トランキランス・マルヤマ・オカムラ」。 伝説では、イザナミが出産の際比婆山に登り、手に持っていた杖を地中に立てたところ、根を出し葉を広げ陰陽竹になったといわれています。 玉抱石とちんちん井戸 不思議な丸い穴の空いた「玉抱石」は、神気がこもっていると言われる霊石です。 この石に触れ、伊邪那美命にお参りをすると子宝に恵まれ安産であるという言い伝えがあります。 また、ちんちん井戸と言われる井戸の水を産湯に使うと、その子供は一生元気で健やかに育つという言い伝えもあります。 ちんちん井戸は、現在は網で塞がれており、その神水にふれることはできませんが、比婆山には様々な安産のご利益があることが伺えます。 安来市観光協会 |