本殿より一段下がった地。本殿に向かって左の末社の中にあり。 明治41年4月11日、日根神社に合祀される前は、比売神社の境内は、日根神社の西隣にあつた。 正和5(1316)の日根野村絵図をみると、日根神社は「大井関大明神」とあり、その南西に比売神社とされる「溝口大明神」が描かれている。 「日根神社由緒略記」では、最初に樫井川から水を引き、上之郷と日根野の一部を開発した人達が溝口大明神(比売神社)を祀り、後に新しい井堰・水路をつくり大規模に樫井川流域の開発を進めた豪族(日根造)が樫井川の水を押さえる重要な場所に大井関大明神(日根神社)を祀り、やがて溝口大明神を吸収したのではとある。 |
比売神社 比売は假字也〇祭神大宮比盗_、(風土記〇泉州志に衣通姫といふ、今從はす、)○日根神社鳥居辺に在す、今下御前と称す、(泉州志、式社考、)〇総国風土記第二十九残欠云、日根郡比売神社、圭田三十二束、所祭大宮比当轣A 類社 越中國砺波郡比売神社 神位 國内神名帳云、正五位下姫社、 神社覈録 |