津田川が峡谷を出ようとする所の川東岸に鎮座しており、三丈余の雨降瀧がある。 神社の森は、平成元年〔大阪府自然環境保全地区〕に選ばれ、大阪府下でも数少ない自然が残された常緑広葉樹林に覆われている。 石漱盤に「天平四年壬申年八月吉日座中」の銘があり古くから鎮座していたとおもわれる。 陽成天皇の元慶8年(884)6月、天下大に旱した時、菅原道真を奉幣使として派遣し、当社に祈雨した。これより「雨降明神」の名がでたという。 ひでりには、滝壺の水をさらって神前に祈ると、必ず雨が降るとされている。 寛永年中の大旱魃の時には(近郷百八ケ村の農民が當社前に参集して、祈雨の祈誓をしたところ、大雨たちまち降つて愁眉を開いたという。 幕末までは「満願寺」という宮寺が奉仕していたが、維新後の神仏分離により廃寺となつた。 当社の鎮座する神於山地区・意賀美神社は環境省が認定した「重要里地里山」に選定されている。 |
由緒 当社は古来和泉国掃守郷土生滝村同郡阿間河谷庄滝村両所の境に鎮座し闇於加美神を奉祀する。其の創立の年代不詳であるが年次は遙かに天平年間より以前の事に属し現存する石漱盤の鐫刻「天平四年壬申年八月吉日座中」によっても知る事が出来る、社号は正しく意賀美神社と称し奉るがOGAMI 太神宮とも称し又神霊を尊んで雨降大明神とも称している、神明帳に南郡従五位上意賀美神社とあり常に風雨順当五穀豊穰を祈願し旱天で米穀枯死の害をさけるときは遠く四方より参拝して雨乞の祈願をするのは今も昔も変わる事がない。聖武天皇天平4年の夏大旱魃の時祈雨の御勅願がありその霊験により御綸旨を以て社領を寄進され、ついで陽成天皇元慶8年6月菅原道真公祈雨の奉弊があり霊験著しく比の頃より雨降りの明神と称え奉るという戦国の世も氏子村民の崇敬は変わらず造営修理能く其の頽廃を防いで今日に至っている。 寛永年中大旱魃の当時近郷百八ヶ所の村々当社前に集い祈願し若し神徳を賜れば河向いより御社頭迄金属製の橋を架け以て神恩に報い奉ろうと祈願成就を祈っている時はるかに豪雨沛然として降り来て村民一同深く神恩の宏大さに感泣したとか、然る風雨後架橋成難くそれ以来毎年土用の入りの当日近在より神酒奉幣し永くその神恩に報賽する事の例を開き今日に至るまで祭祀を怠る事がない。 天保18年寅8月坊城前大納言菅原俊明卿の奉納による御神号額一面がありその崇敬厚いことがわかる。 (注)文中のOGAMI は、「雨」冠に「龍」です。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
意賀美神社大阪府自然環境保全地域 意賀美神社の社叢は、コジイ、ミミズバイが優占する常緑広葉樹林で、ホルトノキ、タイミンタチバナ、ヤブニッケイ等の常緑樹をはじめハナミョウガ、ベニシダ、ツルコウジ等の林床植生が見られる典型的な暖地性照葉樹林の姿を残しています。ホルトノキ、タイミンタチバナ、ツルコウジ等は府下でも珍しい常緑樹で特にホルトノキは17mにもおよぶ巨大なものがあります。 大阪府 社頭掲示板 |
意加美(意賀美)神社 おかみじんしや 雨水をつかさどる神、すなわち淤迦美神を奉斎する神社である。「淤迦美」とは、元来竜蛇を意味する語であるため、淤迦美神は一般に、竜神であり、雨水をつかさどる神と信じられている。古典によれば、伊弉諾尊が軻遇突智を斬った時に、生れた神ということになる。淤迦美神には闇おかみ神と高おかみ神とがある。闇は谷を、高は山峯を意味し、二神とも祈雨、止雨の神として信仰されている。旧官幣大社丹生川上神社には、闇おかみ神と高おかみ神が奉斎されているが、以下「オカミ」または「オガミ」を社名とする神社で、おかみ神を祀る神社を若干挙げてみる。 ▽意賀美神社 大阪府岸和田市土生滝町。 旧村社。闇於賀美大神・市杵島姫命・八大竜王・牛頭天王・井滝岩神を祀る。雨降神社ともいう。延喜式内社で、聖武天皇・陽成天皇の御代に畿内の大旱魃に霊験があったという。 神社辞典 |
意賀美神社 意賀美は假字也○祭神高おかみ神、(式社考)○南郡阿間河庄瀧村意加美谷、」同郡掃守郷土生瀧村両所の境に在す、今雨降明神と称す、(和泉志、式社考、)〇当國日根郡にも同社あり 類社 河内國茨田郡意賀美神社の條見合すべし 神位 國内神名帳云、南郡從五位上意神社、 神社覈録 |