和泉神社【泉井上神社境内社】
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   【延喜式神名帳】和泉神社 和泉国 和泉郡鎮座
          泉井上神社  の境内社

   【現社名】和泉神社
   【住所】大阪府和泉市府中町6-2-38
       北緯34度29分13秒,東経135度25分40秒
   【祭神】
       明治12年『神社明細帳』祭神不詳

       当社の古い社地が、古代豪族・珍県主(茅渟・血沼とも書く)の勢力範囲であった上泉郷にあったことから
       当社祭神は“珍県主の祖神”ではないかという。(
       珍県主 新撰姓氏禄 「和泉国皇別  珍県主  (崇神天皇皇子)豊城入彦命三世孫御諸別命之後也」

   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】明治41年12月8日、泉井上神社の境内に移された

   【関係氏族】珍県主
   【鎮座地】古い社地は上泉郷
        和泉寺が廃寺となったあと国衙南端の御館森へ移った
        明治41年12月8日、泉井上神社の境内に移された

   【祭祀対象】珍(茅淳、血沼)氏
   【祭祀】江戸時代は「上神天神」と称していた
   【社殿】本殿
       

   【境内社】
   【宮寺】和泉寺

和泉国衙は泉井上神社の境内を中心にして、約500m四方の敷地に営まれていた。この敷地に南接して「和泉寺」が建てられ、この近くに当社もあった。廃寺となったあと国衙南端の御館森へ移った。
御館森の地は古くは泉井上神社の境内に接続しており、泉井上神社、和泉五社総社、和泉神社の三社が近接して鎭座、時代によつて主客の変化があつた。江戸時代には総社が主神のようであつたが、明治初年では主客逆転して、社地の三分の二強は和泉神社に属し、三分の一弱が総社の神域で、泉井上神社は一摂社の観があつた。しかし御館森の地が泉井上神社の御旅所であつたことから、事情再転して途にその末社となつた。明治41年12月8日、泉井上神社の境内に移された。社格は村社に列している。現在は和泉五社総社本殿の左右に7社の末社がありその向かって右奥の社に鎮座している。


和泉神社

和泉は郡名に同じ○祭神詳ならず○上條郷府中村に在す、旧在和泉寺内、寺廃遷社御舘森、(和泉志、式社考、)
続日本紀、養老元年2月丙戌、自難波至和泉宮、辛卯、還宮、同11月丁巳、車駕幸和泉離宮、とあるも此地なるべし、
神位
國内神名帳云、從三位大泉社、

神社覈録



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