和泉国衙は泉井上神社の境内を中心にして、約500m四方の敷地に営まれていた。この敷地に南接して「和泉寺」が建てられ、この近くに当社もあった。廃寺となったあと国衙南端の御館森へ移った。 御館森の地は古くは泉井上神社の境内に接続しており、泉井上神社、和泉五社総社、和泉神社の三社が近接して鎭座、時代によつて主客の変化があつた。江戸時代には総社が主神のようであつたが、明治初年では主客逆転して、社地の三分の二強は和泉神社に属し、三分の一弱が総社の神域で、泉井上神社は一摂社の観があつた。しかし御館森の地が泉井上神社の御旅所であつたことから、事情再転して途にその末社となつた。明治41年12月8日、泉井上神社の境内に移された。社格は村社に列している。現在は和泉五社総社本殿の左右に7社の末社がありその向かって右奥の社に鎮座している。 |
和泉神社 和泉は郡名に同じ○祭神詳ならず○上條郷府中村に在す、旧在和泉寺内、寺廃遷社御舘森、(和泉志、式社考、) 続日本紀、養老元年2月丙戌、自難波至和泉宮、辛卯、還宮、同11月丁巳、車駕幸和泉離宮、とあるも此地なるべし、 神位 國内神名帳云、從三位大泉社、 神社覈録 |