明治41年4月29日、大津神社に合祀されるまではこの地に鎮座していた。 |
粟神社 泉大津ふるさと文化遺産 平成18年12月認定[認定四号] 粟神社跡 所在地 泉大津市式内町99(地番) 粟神社跡は、泉大津市南端、大津川に隣接した式8内町内に位置する。 敷地面積はは9.91u。18世紀に成立した「泉州志」(1700年)『和漢三才図会』(1712年頃)『和泉氏』(1736年)などの地誌には、この旧宇多大津村にあった粟神社を、「延喜式」「和泉郡二十八座並小」中の「粟神社」に比定している。 粟神社跡が現存する「式内町」という行政町名は、粟神社が式内社であつたことに因み、昭和19年(1944年)に施行された。寛政12年(1800年)の「和泉国泉郡大津村神社之写」には、戦国時代に焼失するまで式内社として一定の勢力を有していたことが伝承されている。江戸時代には大部天王社(別名「あはど宮」)と呼ばれ、室町時代に建築されたと考えられる社殿が建っていた。敷地面積は84坪(約277.7u)で、その地は宮地のため年貢が免除され除地であった。この社を中心とするこの付近の字名は、「あはど」と呼ばれ、1722坪(5,692.6u)の面積があり、粟神社焼失伝承以前の敷地を想起させる。 明治時代に入ると、粟神社は同じく旧宇多大津村にあった宇多神社(旧牛頭天王社)とともに旧大津村の村社となったが、明治41年(1908年)には大津神社へ合祀されるに至った。祭神は天太玉命を祀る。社殿は合祀の際、大津神社境内に移築され現存している(平成9年3月、市指定文化財に指定)。現在跡地に建てられている「式内粟神社旧址」碑は、明治44年に発起人24人を中心とした氏子により建立されたものである 社頭掲示板 |