火電神社
ほのいかずちじんじゃ 陶荒田神社 に相殿合祀
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   【延喜式神名帳】火電神社 和泉国 大鳥郡鎮座

   【現社名】火電神社[陶荒田神社に合祀]
   【住所】大阪府堺市中区上之266
       北緯34度30分37秒,東経135度31分20秒
   【祭神】
       『大阪府史蹟名勝天然記念物』「祭神古來不詳 或いは云ふ、大年神の裔なりと」
       明治12『神社明細帳』別雷神
       『和泉国式内社目六稿』火雷大神
       『和泉国式神私考』火之焼速男神
       『特選神名牒』火雷命

   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】正保年中(1644-48)当村開拓元祖氏家武俊再興
       元治元年(1864)8月24日拝殿及弊殿焼失
       明治5年(1872)村社
       明治41年2月陶荒田神社ヘ合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧地:堺市福田

   【祭祀対象】雷神
   【祭祀】江戸時代は「愛宕地藏権現」、または「愛宕大権現」と称していた
   【社殿】
       

   【境内社】
   【神宮寺】嵯峨大覚寺末寺真言律宗金龍山興源寺

社名がよく分からない神社である。
「国史大系本」では火電神社と記して「いなひかり」と読みを振っているが。
本文では「九條家本・金剛寺本・吉田家本ともに「大電神社」と記し、前二者は「イナヒカリノ」、吉田家本は「イナヒカリ」と訓む。しかし近世では「火雷神社」となり、「ホノイカヅチノ」と訓むよやうに変つてしまった。「大」と「火」、「電」と「雷」は誤読・誤写しやすい文字であるが、「イナヒカリ」と「ホノイカヅチ」の字義は全く別であるから、社名の称呼により祭神にも移動があつたものと考えられる。」
結局「大」と「火」、「電」と「雷」をどう組み合わせれば良いかは不明である。
由緒は不詳。
近世の俗称は「愛宕地藏権現」、または「愛宕大権現」であり、明治以後も「愛宕さん」と呼ばれていた。
神宮寺は嵯峨大覚寺末寺眞言律宗金龍山興源寺であり、その社僧が社務に関与していたと思われる。
明治41年2月、延喜式内社陶荒田神社へ相殿合祀された。
戦後陶荒田神社とは無関係で、百坪足らずの旧社地の一隅に小祠を建て、愛宕神を勧請して祭る個人が現われ、現在は旧地に愛宕神社が祀られている。


火雷神社

火雷の假字詳ならず、一本大雷、」以呂波字類抄、火電に作る、(此説印本に火雷イナビカリと読り、兼永卿本大雷とあり、されば此帳假宇は、古本のままにて文字を誤れるか、又一本火雷ホノイカツチともあり、是非を弁へず、按るに、今愛宕と称せぱ、火霊にてホノムスヒならんも知れがたし、)〇祭神分明ならず○陶器庄北村に在す、今愛宕と称す、(和泉志、式社考、)
類社
山城國乙訓郡乙訓坐火雷神社の條見合すべし
神位
國内神名帳云、從五位上火雷社

神社覈録



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