「日本書紀」に応神天皇が伊豆国に船を造らしめたといわれている場所。 鴨ヶ池は、沢田の西方、乗浜と船溜まり付近一帯を「かまがき」と呼び昔は池だった。 この地に佐波神社は創建され、その後の明応7年(1498年)大津波に御神体が流され、ここから東約250mの現在の地に遷座した。 |
鴨ヶ池遺跡 鴨ヶ池遺跡は、現在、仁科港の一部(船溜まり)にあった遺跡です。 遺跡のあった地区には、古代の造船の場所としての伝承もあるそうです。 その発見はふるく、昭和8(1933)年で、もともと湿地帯(鴨ヶ池)であった部分を、船溜まりにする造成工事が発見の契機でした。 調査はおこなわれていませんが、工事による排土中から弥生土器片や石器が採集されています。 この弥生土器は,中期後半のもので、のちに駿河湾東部地域の標識資料(鴨ヶ池式)として評価されました。 工事中による採集資料のために、遺跡の性格や由来について明確にできないことは残念ですが、弥生時代の比較的早い時期に、伊豆半島にも同時期の文化が伝わっていたことをしめす資料です。 また、鴨ヶ池遺跡出土土器と類似する同時期の土器が、伊豆半島以外の静岡県の沿岸部や伊豆諸島にもあることから、海を介したひとの動きが垣間見えます。 特定非営利活動法人アジア水中考古学研究所 |