伊豆山神社
いずさんじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】火牟須比命神社 伊豆国 田方郡鎮座

   【現社名】伊豆山神社
   【住所】 静岡県熱海市伊豆山708-1
       北緯35度6分55秒,東経139度4分56秒
   【祭神】伊豆山神
   【例祭】4月14日 例大祭
   【社格】旧国幣小社
   【由緒】孝昭天皇の御代創建
       明治8年県社
       昭和3年11月10日国幣小社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初は最初日金山(久地良山、万葉集にいう伊豆高嶺。)に鎮座
        次で本宮山に移り
        三遷して現在地に御鎮座

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「伊豆山権現」「伊豆権現」「伊豆大権現」
       「伊豆新宮」「走湯権現」と称していた

   【公式HP】 伊豆山神社
   【社殿】本殿流造
       拝殿・社務所・参集殿・神輿庫・宝物収納庫

   【境内社】雷電社・摂社本宮社・末社白山社・同足立社・同結明神社
   【境内図】 境内図

社伝によると当社は当初は最初日金山(久地良山、万葉集にいう伊豆高嶺。)に鎮まり、次で本宮山に移り、更に三遷して現在地に御鎮座になった。
古来伊豆大権現、又は走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山又は走湯山と呼ばれていたが、明治になって現在の社名に改称された。
伊豆山神社を火牟須比命神社に比定する説と、境内摂社の雷電社を比定する説の2説あり。



由緒

伊豆山神社略誌
関八州総鎮護
当社は古来伊豆大権現、又は走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山又は走湯山と呼ばれていましたが、明治になって現在の社名に改称されました。御創立の年代は、悠久の昔であって確な記録は残されておりませんが、人皇御五代孝昭天皇の御代と伝え、延喜式神名帳に所載の火牟須比命神社は、当社のこととされております。
社伝によると当社は最初日金山(久地良山、万葉集にいう伊豆高嶺。)に鎮まり、次で本宮山に移り、更に三遷して現在地に御鎮座になりました。十六代仁徳天皇が勅願所となされてより二十二代清寧、三十代敏達、三十三代推古、三十六代孝徳、百五代後奈良と六朝の天皇の勅願所となり、殊に後奈良天皇は御宸筆の心経一巻(昭和2年国宝指定、現重文)を御奉納になられ、国土安穏と万民の和楽を御祈願になられております。大正3年1月13日、皇太子であられた昭和天皇御参拝の砌り、親しく若松一株御手植えを賜わりました。今、社頭左側に亭々と聳えております。
大正7年に宮内省から基本財産の一部にと、金3万円の御下賜をいただき、又、昭和3年秩父宮家をはじめ、高松、久迩、伏見、山階、賀陽、東伏見の各宮家から金壱封を、梨本宮家からは日本刀一口及び槍一筋、祭祀料の御寄進をいただき、又、昭和55年9月12日に皇太子浩宮徳仁親王殿下の御参拝をいただいております。
平治の乱後、平家の手により伊豆国に配流の身となっていた、源頼朝が源家再興のことを当社に祈願し、後鎌倉に幕府を開くに及んで、篤く当社を崇敬し、箱根と共に二所と称えて、幕府最高の崇敬社として関八州総鎮護とされ、社領四里四方、海上見渡す限りの外に、鎌倉、室町期を通じて、
一、武州 吉田三ヶ村 野中村 一、相州 柳下郷 小田原寺家方金目庄 一、上州 渕名庄半分 一、豆州 丹那郷 田代郷 大田家村 春木村 蛭島郷 白浜郷 初島領家職熱海松輪村東湯屋 山木郷 山上地 平井薬師堂 馬宮庄領家職 仁科庄内田畠 松下田畠 一、駿州 富士村寺 聖一色 伊賀留美 一、越州 国分寺 右の如くに社勢頗る盛え、多数の社領を各地に所有していたことが、吉野時代の文書「寺領知行地注文」に記されておりますが、その社領範囲の広大であったことは実に驚くべきもので、当社の最隆昌期における状況を示しております。
かくて北条、足利の時代を経て徳川の治下に及んで、家康江戸開府に先立ち、二百石を寄進し、次で慶長になって百石と、併せて三百石の朱印領を寄進して崇敬の誠を至し、歴代の将軍も又これに傚い、明治維新に際して国に上地いたしました。
昭和3年昭和天皇御大典に際して、国幣小社に列格仰出され、官社として御神威いよいよ高くいましたが、終戦後神社制度も廃されて宗教法人として新たに発足し、今日に至っております。
猶当社は明治以前においては、久しく神仏習合の社であって、役小角をはじめ、弘法大師、多くの山嶽仏教徒や修験者が入峰して、修行を積んだ霊場で、後白河院の御撰に成る染塵秘抄に「四方の霊験所は、伊豆の走湯(伊豆山神社を指す)信濃の戸隠、駿河の富士山、伯耆の大山。」と著され、東国、東海における第一の霊場として聞こえていたことがしられます。
御神徳 一切の生物の親神として、生命の充実、発展の御守護を土台として、国の護り、産業、事業、経営の護り、良縁の護り、殊に禊道、錬成の御導きの御神威は著しく、火防鎮火、温泉守護の御神徳弥高くまします。
社殿 源頼朝の再興以来、将軍又は領主の寄進により、度々改修されておりますが、現在の社殿は昭和6年より同11年に亘り、内務省の手によって本殿、拝殿、階殿、神饌所、手水舎、雷電社等の修造、並びに整備が行われました。建物は総朱漆塗、一部極彩色で、細部の彫刻等は見事な出来映えです。
境内社 東鑑に光の宮と記されている摂社雷電社、摂社本宮社、末社白山社、同足立社、同結明神社が鎮座。又、飛地境内社として摂社走湯神社があります。
神木梛及び神湯梛の湯 社頭の左右に梛の木があり、この葉を所持すれば願い事必ず叶うといわれ、又、男女の仲を結ぶ外、交通安全、災難除、入学成就の守りとして信仰されております。
梛の湯の源は、社殿横の宝物庫に近く在り、歌人の左左木信綱博士が、神木梛に因んで「梛の湯」と命名されました。御神威によって湧出した神湯で、社務所に引湯し、奉仕者の潔斎に用いております。
宝物 後奈良天皇御宸筆心経一巻(国重文)古剣一口(国重文)八稜鏡各六面(県文)経巻、経塚出土品(県文)神像、古文書等百余点。 付近名勝 般若院、興亜観音、走り湯、岩戸山、日金山、十国峠、伝斉藤別当実盛の墓、伊豆山温泉。
参拝順路 JR熱海駅から伊豆山神社前までバス(伊豆山神社行、又は七尾行)で約7分。駅前バスターミナルから発車、別に伊豆山温泉経由、神社行の循環バスもでています。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




伊豆山神社

当社は古来伊豆大権現、又は走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山又は走湯山と呼ばれていましたが、明治になって現在の社名に改称されました。
 御創立の年代は、悠久の昔であって確な記録は残されておりませんが、人皇御五代孝昭天皇の御代と伝え、延喜式神名帳に所載の火牟須比命神社は、当社のこととされております。
 社伝によると当社は当初は最初日金山(久地良山、万葉集にいう伊豆高嶺。)に鎮まり、次で本宮山に移り、更に三遷して現在地に御鎮座になりました。一六代仁徳天皇が勅願所となされてより、二十二代清寧、三十代敏達、三十三代推古、三十六代孝徳、百五代後奈良と六朝の天皇の勅願所となり、殊に後奈良天皇は御宸筆の心経一巻(昭和2年国宝指定、現重文)を御奉納になられ、国土安穏と万民の和楽を御祈願になられております。大正3年1月13日、皇太子であられた昭和天皇後参拝の砌り、親しく若松一株御手植を賜わりました。今、社頭左側に亭々と聳えております。
 大正7年に宮内省から基本財産の一部にと、金3万円の御下賜をいただき、又、昭和三年秩父宮家をはじめ、高松、久邇、伏見、山階、賀陽、東伏見の各宮家から金壱封を、梨本宮家からは日本刀一口及び槍一筋、祭祀料の御寄進をいただき、又、昭和55年9月12日に皇太子浩宮徳仁親王殿下の御参拝をいただいております。 b  平冶の乱後、平家の手により伊豆国に配流の身となっていた、源頼朝が源家再興のことを当社に祈願し、後鎌倉に幕府を開くに及んで、 驚く当社を崇敬し、箱根とともに二所と称えて、幕府最高の崇敬社として関八州鎮護とされ、社領四里四方、海上見渡す限りの外に、鎌倉、室町期を通じて、
 一、武州  吉田三ヶ村 野中村
 一、相州  柳下郷 小田原寺家方金目庄
 一、上州  渕名庄半分
 一、豆州  丹那郷 田代郷 大田家村 春木村 蛭島郷 白浜郷
 初島領家職 熱海松輪村東湯屋 山木郷 山上郷
 平井薬師堂 馬宮庄領家職 仁科庄内田鼻 松下田鼻
 一、駿州  富士村寺 聖一色 伊賀留美
 一、越州  国分寺
上の如くに社勢頗る盛え、多数の社領を各地に所有していたことが、吉野時代の文章「寺領知行地注文」に記されておりますが、 その所領範囲の広大であったことは実に驚くべきもので、当社の最隆昌期における状況を示しております。
 かくて北条、足利の時代を経て徳川の治下に及んで、家康江戸開府に先立ち、二百石を寄進し次で慶長なって百石と、併せて三百石の朱印領を寄進して 崇敬の誠を至し、歴代の将軍も又これに傚い、明治維新に際して国に上地いたしました。
 昭和3年昭和天皇御大典に際して、国幣小社に列格仰出され、官社として御神威いよいよ高くいましたが、終戦後神社制度も廃されて宗教法人として新に発足し、今日に至っております。
 猶当社は明治以前においては、久しく神仏習合の社であって、役小角をはじめ、弘法大師、多くの山嶽仏教徒や修験者が入峰して、 修行を積んだ霊場で、後白河院の御撰に成る粱塵秘抄に「四方の霊験者は、伊豆の走湯(伊豆山神社を指す)信濃の戸穏、駿河の富士山、 伯耆の大山。」と著され、東国、東海における第一の霊場として聞こえていたことがしられます。

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