来電社は若宮神社(中本宮の雷電社)と下之雷電社の二社が記されており、光の宮として著名な下之雷電社は、もと伊豆山神社現所在地の麓の方に鎭座していたと伝えている。この下之雷電社が現在の境内社来電社であろう。 天和元年(1681)刊行の「豆州熱海絵図」によると、いまの社務所の辺りに雷電社があった。 明治九年の地籍図によると伊豆山字坂西572番地に雷電社の社地があるので一時ここにも雷電社は(泉蔵坊預かりの社)があった事が伺われる。(この位置は麓の方に鎭座していた下之来電社の位置ではないか?) |
摂社雷電社 祭神 火牟須比命荒魂外十一座 例祭日 3月15日 御由緒 創立年代は不詳なれど吾妻鏡に「光ノ宮」と別名あり、鎌倉右大臣ノ再興に係り、暦応4年足利氏が慶長17年徳川秀忠が改築、現社殿は内努省の手により昭和10年11月改築竣工せり。 歴代将軍の崇敬篤く、足利時代には相州厩川村、早川庄内小田原京極跡地及び池上余藤五郎跡地を社領とし、尚不足分として豆州大塔下村を御供料地と定め羅レ、神威願る盛んであつた。殖産興業、火防鎮火の守護神として崇敬を集め、近年は電気事業関係者の商売繁昌の守神として篤い信仰が寄せらている。 社頭掲示板 |
雷電社 御祭神 伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊) 例祭日 3月15日 創立年代は不詳ですが、吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、鎌倉幕府三代将軍源実朝が再興し、その後暦応4年に足利氏が、慶長17年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和10年に内務省によって改築されました。 政治を司り導く神として、源頼朝を始め歴代の将軍家の崇敬が厚く、室町時代には多数の社領を有しておりました。 事業、経営、商売繁盛、心願成就、良縁成就、家内安全、夫婦円満、子孫繁栄など、強いご神威をお持ちの神様です。 伊豆山神社HP |
摂社 雷電社(若宮) 御祭神 伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊) 例祭日 3月15日 御由緒 創立年代は不詳ですが、吾妻鏡に「光の宮」と別名があリ、鎌倉幕府三代将軍源実朝が再興しそののち、暦応4年に足利氏が、康長17年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和10年に内務省によって改築。 政治を司り導く神として、源頼朝を始め歴代の将軍家の崇敬が篤く、室町時代には全国に多数の社領を有しておりました。 社頭掲示板 |
火牟須比命神社 火牟須比は假字也O祭神明か也○カマタ村に在す、今賀茂郡に属す、(国図)〇日本紀神代巻上、一書曰、伊弉册尊生火産霊時、爲子所焦而神退矣、○式九、(祝詞)鎭火祭、云々、麻奈弟子爾火結神生給氏、美保止被焼氏石隠坐氏、 考証云、今曰、雷電宮、在伊豆権現上宮束傍 神社覈録 |