『三宅記』の三島大明神の第三の后神(佐伎多麻比当ス)が八王子を一度に産んだ時、「六番くら井」が久良恵命であり、当社の祭神とする。 元は、坪田村の高山の地に鎭座していたという。三池浜のサタドー岬寄りの山手に位置している。里人は、この旧社地を今も「高山さん」と尊称している。 昭和29年1月15日、久良浜神社(久良恵命)は、小倉山にあつた二宮神社などと共に、坪田部落の菅原神社へ合祀、そして菅原神社を二宮神社と改称した。 久良浜神社の祭神を「久良恵命」と考えるようになるのは、明治18年8月の「社寺明細帳」以後であり、それ以前は「祭神相分り不申」であつた。 |