当社の祭神は『三宅記』に記述する三島大明神の后神佐伎多麻比当スの八王子の最後の御子、「ひんすけ(へんす、へむす)」にあたると言われている。 当社は古く「はうすの神社」と称し、三宅島三宅村神着風早山に峯指(ホウス)神社(古称、「風神ノ宮」「風早神社」)として鎮座していた。 明治7年7月3日の大噴火に罹り、御笏神社の境内丑寅の隅へ遷祀した。(境内神社「峯指神社」)。その後、御笏神社の本殿へ合祀され、現在に至つている。 風速山(かぞはいやま)(風疾山)の元社地は明治7年の噴火をまともに受けてスコリア・軽石・火山礫などの火山砕屑物の下に埋れてしまった。 |