三島大社
みしまたいしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊豆三島神社(名神大 月次/新甞) 伊豆国 賀茂郡鎮座

   【現社名】三島大社
   【住所】静岡県三島市大宮町2-1-5
       北緯35度7分20秒,東経138度55分7秒
   【祭神】大山祇命 事代主命 (配祀)阿波神 伊古奈比当ス 楊原神
       伊予の大三島神を遷祀したのが伊豆の三島神であるとする説は古く、伊豆の三島神を事代主神とする説は新しいが、両説とも確實性はなく、或は「三島」が共通するによる附会説である。伊豆の「三島神」は「御島神」、伊豆諸島を造成・開発された神として信じられた神であろう。

   【例祭】8月16日 例祭
   【社格】官幣大社 一宮
   【由緒】三宅島富賀神社の地に創立
       文治3年(1187)造営
       嘉貞元年(1235)社殿を造営
       永禄から元亀年間(1570頃)武田信玄の侵攻により焼亡
       文禄3年(1594)に三百三十石
       慶長2年(1604)に二百石を寄進
       明治4年官幣大社

   【関係氏族】
   【鎮座地】三宅島富賀神社→白浜海岸白浜神社→大仁町広瀬神社→三島市三島大社と遷したという
        平安中期以降に、国府のあった現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「三島大明神」と称していた
   【公式HP】 三島大社
   【社殿】本殿三間社流造
       拝殿・拝殿・神門・総門・神樂殿

   【境内社】若宮神社・見目神社・大楠社・天神社・聖神社
        第三社・幸神社・小楠社・第二社・酒神社・飯神社・船寄社
        厳島神社・祓戸神社・伊豆魂神社

   【境内図】 境内図

伊豆諸島を造成・開発された神として信じられた神で、その神は眷属神として多くの后神・御子神を件い、それらは海南の諸島から伊豆半島にかけて鎭祭されている。
伊予の大三島神を遷祀したのが伊豆の三島神であるとする説もある。
当社ははじめは三宅島にあり、そのあと、三宅島富賀神社→白浜海岸白浜神社→大仁町広瀬神社→三島市三島大社と遷したという。
平安初期には伊豆半島東岸の白浜に、正妃・伊古奈比と並んで鎮座していたという。
延喜式に記載されている伊豆三島神社は、その当時のものだと思われるが、その後、平安中期以降に、国府のあった現在地に新宮として分祀されたのが当社という。
現在三島大社がある場所には若宮八幡があったとされている。この時、三島明神が若宮八幡に「藁一把分土地を譲ってくれ」と言い、若宮八幡が「そのくらいいい」と言ったら三島明神はその藁把を解いて輪にすると広大な敷地を占有してしまった。そこで若宮八幡はよそ(同市本町)に移らなければならなくなったという。
ために若宮八幡は今でも三島大社に背を向けているという。


由緒

祭神
大山祇神・事代主神
大山祇神は山の神様で、山林農産を始めて殖産興業の神、国土開発経営の神である。
事代主神は俗に恵比須様と申して、商工漁業、福徳円満の神である。
由緒
元の官幣大社で、その創建は極めて古く、此の地に鎮座し、神の御名により三島の地名ともなった。
延喜の制にはすでに最高の格である明神大に列し、月次・新嘗の官幣に預り、祭料稲二千束を寄せられた。
中世以降武士の崇敬が篤く、殊に源頼朝は治承4年8月17日、御祭礼の夜深く神助を頼み挙兵し、旗挙成功するや、偏に大明神の加護によるものと神領を寄せ、社殿を造営し、神宝を奉り益々崇敬を寄せた。以来武門武将を始め庶民の尊崇をあつめ、三嶋大明神の御名は広く天下に知られるところとなった。
明治4年、最高の社格である官幣大社に列せられたが、戦後官幣の制度は廃された。
例祭
8月16日を中心に15、16、17日の三日間で大祭と呼んで賑わう。
尚この他、年間115度の祭典が行われる。
宝物
国宝梅蒔絵手箱(平政子奉納)をはじめ、重文宗忠太刀、重文秋義脇差、重美三嶋本日本書紀、その他頼朝・頼家・尊氏、顕家、宗瑞(早雲)等の古文書、刀剣等多数を蔵す。
社殿・境内
古来幾十度か社殿の造営が行われたが、現在の社殿は嘉永7年11月4日の東海大地震により倒壊したものを時の神主矢田部式部盛治が十年の歳月と16677両余の巨費を投じて、慶応2年完成させたものである。その後関東大震災、伊豆震災により、一部修理が行われたものである。
境内は、約一万五千坪(五万平米)である。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




三島大社

御祭神
大山祇神(おおやまつみのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、御二柱の神を総称して三嶋大明神(みしまだいみょうじん)と称している。
大山祇神は山森農産の守護神として農家の崇敬が篤く、また事代主神は俗に恵比寿様ともいわれ、福徳の神として商・工・漁業者の崇敬が厚い
御由緒
御創建の時は不明であるが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残る。平安時代中期「延喜の制」には、名神大社に列し、社名・神名の「三嶋」は、地名ともなっている。いよいよ国衙の崇奉を受けることとなった。
中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願した。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなった。この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものとして知られている。
頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の根本である下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていった。
その後、明治4年には、官幣大社に列せられた。又、平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の文化的価値の高さも再認識されている。
三島最大のイベント、三嶋大社例祭・三島夏祭りは、8月15・16・17日に行われます。
      3日間の主な祭典・神賑行事
 8月15日 主な祭典         第1日目
12時 献茶式
 裏千家一樹会渡辺宗契社中による献茶式。御神前での神事ののち、席主のお手前が始まります。参拝者の皆様にも振る舞いの茶席が用意されます。
14時 菅奉納祭  間眠(まどろみ)神社氏子総代による菅奉納祭。神様の茣蓙(ござ)を新調して献上するなごりと伝えられます。
19時 宵宮祭・献灯報告祭
 宵宮祭に併せて、献灯奉告祭が斎行されます。この御神灯は、御神灯世話人会の方々のご奉仕により氏子崇敬者の御奉納をうけて献灯されます。
引き続き 人長舞・浦安舞  昭和天皇の御製を神楽にした浦安の舞。琴姫の奏でる優雅な調べにのせ、平安朝の装束を身にまとった4人の舞姫により奉奏されます。
 8月16日 主な祭典         第2日目
10時 例 祭  年間115回行われる恒例祭典のうち、最も重儀な大祭。宮司以下神職全員が精進潔斎の参籠をし祭典に臨みます。 13時 人長舞・浦安舞 15日と同様、人長舞と浦安舞が舞殿にて奉奏されます。
14時45分 頼朝旗挙出陣奉告祭
15時10分 同出陣式  治承4年(1180)8月17日、折しも三嶋大社大祭が行われた深夜、源頼朝は平氏打倒の兵を挙げました。その故事に習い、万民和楽を願い行う神事。     
19時 手筒花火神事       除災招福を願って三島の夜を飾る神事。その噴煙が諸々の厄を祓い、福を呼ぶとされ、崇敬会員により奉納されます。
 8月17日 主な祭典         第3日目
11時 崇敬会大祭  崇敬会員約500名の参列のもと、会の発展と会員の家内安全が祈られ、金弊の儀により大明神様の御恵をいただきます。
13時 流鏑馬神事  平安時代から行われた神事。明治初頭に一時中断しましたが、崇敬会発足10周年を記念して復活。三嶋大社崇敬会の奉納により行われています。
■天下泰平・五穀豊穣を祈る勇壮な流鏑馬。平安時代から続く神事。
■例祭〜恒例115回の祭典の中、最も重儀な大祭式。多くの崇敬者を迎え、執り行います。
■除災招福を願って三島の夜を飾る、手筒花火神事。
■清澄・優雅・荘重
厳しい練習を経て人長舞・浦安舞が奉納されます。
■明々とともる御神灯が御社頭を彩ります。三島夏祭りの風物詩になりました。
15日 献茶式 菅奉納祭 宵宮祭・献灯奉告祭 人長舞・浦安舞
16日 例祭 人長舞・浦安舞 頼朝公旗挙出陣式 手筒花火神事
17日 崇敬会大祭 流鏑馬神事
 1月7日午後1時より、静岡県無形民俗文化財に指定されている(お田打ち神事)が舞殿において行われます。
 その起源は平安時代であろうと言われ、次第に形が整えられ、鎌倉時代には盛んに行われたと考えられています。今日三嶋大社で行われている「お田打ち」は、その後変遷をたどり、室町時代を経て、芸能として狂言形式に成長したものと考えらます。
 白いお面を付けた舅(しゅうと)の穂長(ほなが)がその年の恵方(えほう)から登場し、黒いお面を付けた婿の福太郎(ふくたろう)とともに、苗代所の選定から種まき、鳥追いまでの稲作行事をおこない、年頭に当たって、その年の五穀豊穣、天下泰平を祈ります。こうした神事のことを予祝神事(よしゅくしんじ)といいます。
 当日は、神事に続いて、紅白の小餅や種もみがまかれ、これらと共に「福」を授かろうと、大勢の参拝者でにぎわいます。
 このお田打ちに登場する「福太郎」は、神事における役割と、その名前から、福を授けるものとして、「福の種蒔く福太郎」と呼ばれ、親しまれています。
今日、そのお顔は おもち にもなって、めしあがる多くの人々に福を授けています。
宝物・文化財の数々
 宝物館では、三嶋大社所蔵の宝物・文化財と、宮司矢田部家に伝来した文化財を収蔵・展示しています。それらは三嶋大社の歴史および信仰、神社の御祭儀や運営などに関わる大切な資料です。年に数回展示替えをしながら公開していますので、是非お立ち寄り下さい。以下、おもな所蔵・収蔵文化財、指定文化財を紹介します。
〜国指定文化財〜
    国  宝  「梅蒔絵手箱」
    重要文化財「太刀 銘 宗忠」
    重要文化財「脇指 銘 奉納三嶋大明神 相模国住秋義」
    重要文化財「紙本墨書般若心経 源頼家筆 建仁三年八月十日」
    重要文化財「三嶋大社矢田部家文書」592点
    重要文化財「三嶋大社本殿、幣殿並びに拝殿」(建造物)
    天然記念物「三嶋大社の金木犀」
〜静岡県指定文化財〜
    「三嶋本日本書紀」   (国指定 重要美術品)
    「田祭・御田打ち神事」 (無形民俗文化財 神事)
〜三島市指定文化財〜
    「舞殿」 (建造物)
    「神門」 (建造物)
    「三嶋大社の社叢」 (神社の森)
    「三四呂人形」 2躯(はなこさん・春日団らん)
〜未指定の文化財から〜 指定外の文化財からも一部紹介しましょう。
       美術・工芸
  「後水尾院和歌懐紙」
   「三十六歌仙縫取絵額」(徳川家康側室お万の方奉納)
   「神宮撤下宝物」
       刀剣類
    刀工銘:藤原則定 (第3代将軍 徳川家光奉納)
         伝村正
         藤原吉廣
         小林国輝
         高力長吉
         大慶直胤
       古文書
   「三嶋大社所蔵古文書」
「矢田部家所蔵古文書」(寄託管理)
        近代・現代美術
    澤田政廣(彫刻)・栗原忠二(洋画)
    ・林 功(日本画)・佐々木古櫻(日本画) など

HP 



三島大社

御祭神
大山祇命・積羽八重事代主神、
御二柱の神を総称して三嶋大明神と称す。
御例祭
8月16日、古くは旧8月中の酉の日に行われ、源頼朝が旗挙げをした治承四年には、「吾妻鏡」によれば、「十七日丁酉、快晴、三島社神事也、藤九郎盛長為奉幣御使社参」とある。後に16日に固定し、仲秋の祭であったが、明治6年より新暦8月16日となり、夏祭となった。
昔から三島囃と露店が有名で、全国からの露店は境内及び旧東海道を埋めつくし、近郷近在からの参詣者で市街地への車の乗入れが規制される程である。
御由緒
御創建の時は不明であるが、古くより三島の地に御鎮座し、三嶋大明神と称せられ、富士火山帯の根元の神、伊豆の国魂の神、国土開発の神としての信仰は古く、天武天皇13年〔日本書紀〕淳和(じゅんな)天皇天長9年〔繹日本紀〕仁明(にんめい)天皇承和7年〔続日本後紀〕宇多天皇仁和3年〔扶桑略紀〕等に大明神の造島の事が見え、仁明天皇嘉祥3年〔文徳実録〕以下、その位階は累進し、延喜の制においては名神大社(みようじんたいしや)に列し、月次(つきなみ)、新嘗(しんじょう)の官幣に頂り、祭料稲二千束を寄せられた。
中世以降、武士の崇敬極めて篤く、殊に永暦元年伊豆に流された源頼朝は深く當社を崇敬し、雌伏二十年、治承4年8月17日、當社御例祭の夜、御神助を得て、山木判官平兼隆を討ち、旗挙に成功し、神領を寄せ益々崇敬するところとなり、以来武門武将の尊崇篤くこれらの奉納品多数を所蔵している。又、東海道に面し、下田街道の起点に位する交通の要衝に当り、三島大明神の称は広く天下に広まって行った。
尚明治4年には社格が制定され、官幣大社に列せられた。
御境内
古くは現在の数倍の広大な御境内であったが現在は約15000坪(50000平方米)。
三島市の中央に鬱蒼とした森に囲まれ、千古の老大木も現存する荘厳な神城であり、史蹟、名石、名木等が点在する。
御社殿
嘉永7年11月4日、東海大地震により、社殿工作物悉く倒潰した。時の神主矢田部式部盛治は、直ちに寺社奉行に届出ると共に、その復旧に着手し、先づ社頭に御影石の大鳥居を建設し、続いて本殿、幣殿、拝殿以下、舞殿、神門、総門、摂末社、其の他附属建物及び工作物等、現在に見る壮大な社殿群を十年の歳月を費して完成した。
その後、大正12年の関東大震災、昭和5年の伊豆震災の復旧工事と平成2年御大礼を記念し補修工事が行われた。
社務所
平成元年11月25日に竣功。地下一階、地上二階建て鉄骨・鉄筋コンクリート造りで、大きな屋根と深い軒が特徴で、荘厳な建物である。建物内部は事務室を始め大小の会議室、大広間、研修室などがあり、近代的設備と機能が配備されている。
史蹟
●神池 古い神池で、心字池であり、鎌倉時代、源頼朝が放生会を行った。又一遍聖絵によってもその面影を見る事が出来る。一米余の大鯉を初め、真鯉、錦鯉が群遊する。
●金木犀 樹令1200年と伝えられる天然記念物指定の金木犀は、日本一の大木であると共に、9月上旬と9月下旬から10月上旬にかけて二回薄黄色の小花を全枝につけ、その芳香は二里に及ぶと伝えられている。
●名石 源頼朝が参詣の折休憩したと伝えられる腰掛石がある。
三島七石の一つに数えられる牛石が有名である。
●名木 神池畔に樹令千余年を経る楠の大木があり、三島七木の一つであり、現存するただ一本の老木である。
●銅像 幕末の偉人、矢田部式部盛治(やたべしきぶもりはる)は、嘉永(かえい)7年11月4日の東海大震災により倒潰した社殿を十年の歳月を費して復旧完成し、官幣大社に列格せしめ、幕府脱走隊の三島進入に際しては、之を沼津に退去せしめ、伊豆伊吹隊を結成し大総督宮を警護先尊し、明治天皇の御東幸を奉迎し、又祇園山腹にトンネルを掘り、賀茂ヶ洞の荒地を美田となす等、種々の偉業を顕彰するため市民によって、昭和29年、彫刻界の長老澤田晴(さわだせい)(政)廣(こう)作の銅像が建立された。
● 句碑 伊豆魂神社参道添に、松尾芭蕉の句碑がある。
●歌碑 東側神池南端に、若山牧水が沼津から、詠んだ祭の夜の歌碑がある。
宝物館
平成9年9月29日竣功 平成10年4月1目開館
地下一階、地上三階四八二坪
鉄骨鉄筋コンクリート造、耐火建造物
一部床免震、展示室、収蔵庫、館長室、学芸員室、講座室等を備える。
宝物
国宝 梅蒔絵手箱 内容品共47点北条政子奉納
重文 太刀 銘宗忠 明治天皇御奉納 鎌倉時代
〃  脇差 銘秋義 南北朝時代
〃  般若心経 源頼家筆 建仁3年8月10日
〃  三嶋社奉納奥書巻
〃  古文書 平安時代以降の三嶋大社矢田部家文書592点
重美 三嶋本日本書記 紀室町時代
其の他古文書、刀剣等多数を所蔵する

由緒書



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