三島大社
みしまたいしゃ


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【祭神】

伊予の大三島神(大山祇命)を遷祀したのが伊豆の三島神であるとする説は古く、伊豆の三島神を事代主神とする説は新しいが、両説とも確実性はなく、或は「三島」が共通するによる附会説である。伊豆の「三島神」は「御島神」、伊豆諸島を造成・開発された神として信じられた神であろう。
大山祇命とするのは室町時代の『二十二社本縁』に「都波八重事代主神(中略)伊豆賀茂郡坐三島神、伊予国坐三島神同体坐云」とある記載に基づく。
江戸時代までの祭神は大山祇命とされていたが、幕末に事代主神説が国学者の支持を得たため、明治6年(1873年)に事代主神に改められた。その後大正期に入って大山祇命説が再浮上したため、2柱説が昭和27年(1952年)に制定されて現在に至っている。


【文化財】

国宝
梅蒔絵手箱(蓋表)(国宝)
梅蒔絵手箱 一具(工芸品) 鎌倉時代、源頼朝の妻・北条政子の奉納と伝わる手箱。縦25.8センチメートル、横34.5センチメートル、高さ19.7センチメートルで、代表的な鎌倉時代の蒔絵工芸品である。合口造の箱で、蓋には甲盛りがあり、典型的な鎌倉期の手箱の器形を示す。蓋表と身側面には沃懸地(いかけじ)に梅樹、几帳、飛雁、水禽などを高蒔絵で表し、梅花には銀の平文(ひょうもん)を用いる。蓋表には図中にまぎれるように銀の平文で「榮・傳・錦・帳・雁・行」の6文字が散らされているが、これは白居易(白楽天)が友と昇進を遂げた慶びを綴った漢詩(『白氏文集』所収)の詩意を表したものであり、「榮傳錦帳花聯萼 彩動綾袍雁趁行」(栄は錦帳を伝え花は萼を聯(つら)ねたり、彩は綾袍を動かし雁は行を趁(お)う」という詩句に由来する。手箱内には以下の内容品(化粧道具)一式が納められており、これらも箱とともに国宝に指定されている。 白銅鏡 1面、蒔絵鏡箱 1合、蒔絵歯黒箱 2合、蒔絵白粉箱 1合、蒔絵薫物箱 2合、螺鈿櫛 18枚、螺鈿櫛残欠 4枚、平元結 2本、銀軸紅筆 1本、銀軸眉作 1本、銀鋏 1箇、銀鑷 1箇、銀笄 1本、銀髪飾 4枚(附:銀菊形鋺 1口、金銅扇形箱 1合、金銅菊文箱 1合、組紐残欠 1綴、袋残欠 1綴)この手箱は、鎌倉期に盛行する高蒔絵の技法を駆使したこの時代を代表する漆工芸品であり、内容品を存する手箱としては現存最古のものである。明治33年4月7日に当時の古社寺保存法に基づき国宝に指定、昭和27年11月22日に文化財保護法に基づき国宝に指定。現在は東京国立博物館に寄託中で、三嶋大社宝物館には3年半かけて再現された復元品が展示されている。
重要文化財(国指定)
本殿、幣殿及び拝殿(附 棟札1枚)(建造物) 江戸時代末期の造営。平成12年5月25日指定。
太刀 銘宗忠(工芸品) 鎌倉時代初期、備前国福岡一文字派の宗忠による作刀。刃長81.8センチメートルで、平安時代末期の風潮を残す。本刀は、明治20年に旧宮内省から三嶋大社に寄進されたものである。 明治45年2月8日指定。
短刀 銘三嶋大明神他人不与之 貞治三年藤原友行(工芸品) 南北朝時代、貞治3年(1364年)の作刀。明治44年4月17日指定。昭和23年に盗難
脇差 銘相模国住秋義伊豆三嶋大明神奉拝 佐藤松千代貞成(工芸品) 南北朝時代、相模国の刀工・秋義による作刀で、佐藤貞成による奉納。大正9年4月15日指定。
紙本墨書般若心経 源頼家筆(書跡) 鎌倉時代、建仁3年(1203年)8月10日に鎌倉幕府第2代将軍・源頼家が奉納したもの。頼家は将軍に就任したものの政争の中で病床につき、平癒祈願としてこの般若心経を筆写・奉納したとされる。現存では唯一の頼家自筆の書とされる。平成6年6月28日指定。
三嶋大社矢田部家文書 592通(古文書) 三嶋大社とその宮司家の矢田部家に伝わる、平安時代から江戸時代にかけての古文書群。三嶋大社所蔵分155通、矢田部家所蔵分437通からなるが、一括で指定されている。中世では鎌倉時代の源頼朝・北条時政、南北朝時代の足利尊氏・足利直義といった主立つ武将の文書が見える。また近世では、三嶋大社境内や三島地域の変遷を伝える。平成6年6月28日指定。
国の天然記念物
三島神社のキンモクセイ - 昭和9年5月1日指定。
静岡県指定文化財
有形文化財 日本書紀並びに具書(典籍) 室町時代、応永35年(1428年、正長元年)の奉納で、『三島本日本書紀』と称される。『日本書紀』は全30巻から成るが、本書では巻1から巻3まで(神代上、神代下、神武天皇紀)と具書3巻(中臣祓解除・神口決、二十一社守護記)が保存される。流出部の一部は國學院大學図書館にある。良海・快尊・重尊・真尊(助筆)ら4人が応永35年(1428年)に大社に参籠して書写を行い、願主・施主の正本が奉納したと見られる。昭和24年4月13日に国の重要美術品に認定、昭和55年11月28日に静岡県指定有形文化財に指定。
無形民俗文化財 三嶋大社のお田打 - 昭和47年3月24日指定。
三島市指定文化財
有形文化財 舞殿・神門(建造物) - 昭和41年2月7日指定。
三四呂人形(みよろにんぎょう) 2躯(工芸品) - 昭和58年10月7日指定。
天然記念物 三嶋大社社叢 - 平成3年3月4日指定。



三嶋大社

古くより三島の地に鎮座し、富士火山帯根元の神、伊豆国魂の神、国土開発経営の神として信仰されています。平安時代、延喜の制には名神大社に列せられ、伊豆国一宮として朝野の尊崇を集めました。中世以降は武門武将の崇敬極めて篤く、まつわる奉納品を多数所蔵しています。こうした宝物の数々は境内の宝物館にて展示公開しています。なお、明治4年社格制定により官幣大社に列せられました。

静岡県神社庁



三島大社

みしまたいしゃ 静岡県三島市大宮町。
箱根山の西麓、東海道の三島宿、旧官幣大社(現、別表神社)。古くは伊豆国の国府の所在地であり、現在も伊豆半島への西の玄関口となっている要衝の地てある。また北に霊峰富士を仰き、その富士の白雪は涌水となってこの地に注いでいる。
伊豆国は延喜式内社九二座の多きを数えるが、賀茂郡四六座の筆頭に「伊豆三島神社(名神大、月次、新嘗)」とあり、もとは白浜の伊古奈比当ス神社と同一の神域に鎮座していたものが、のちに国府の地に総社あるいは六所宮の一つとして勧請されたものが現在の三島大社の起源てあると考えられる。文徳天皇嘉祥3年(850)従五位上を授けられたのをはしめ、清和天皇貞観元年(859)に従四位上、同6年四位下、同10年従三位に昇っている。その後、伊豆国一の宮として尊崇を受け、特に源頼朝か蛭小島に流されてより篤く崇敬し挙兵にあたっても伸威を頼み、志を達成して鎌倉に幕府を開くとともに社領を寄せ、鶴岡八幡宮に分祀するなど重く尊崇したことから伊豆、箱根の二所とともに特遇された。
祭神は現在の神社明細書によれば大山祇神、事代主神(積羽八重事代主神)ほか三座。
三島神を古典に見える大山祇神にあて、伊予大山祇神社の遷祀とする説は古く、鎌倉時代すでに『東関紀行』に「この社は伊予の国三島大明神を遷し奉ると聞くにも云々」とあり、北畠親房『二十一社記』、一条兼艮『碑本書紀纂疏』も同説で江戸時代に至るまでは大山祇神説が大勢であった。
しかし平田篤胤が『二十二社本縁』賀茂社の条を根拠に事代主命とする説を提唱し、国学者の間に首背されるに至り、明冶6年(1873)教部省の許可を得て祭伸を事代主神(積羽八重事代主神とされたが、のら官社祭神考証により玉籔入彦厳之事代主神とされた)と訂正した。ところが大正以後諸氏により平田説の再検討がなされ、結局現在の明細書の姿に落ち着いた。
現在の社殿は幕末から明冶初期にかけての建立て、本殿、社殿の周囲及ひ向廊には、「天岩戸開き」をはじめ日本、中国の古伝説を素材にした彫刻かなされている。境内には頼朝か参拝の折小憩したという「腰かけ石」があるか、これはもと大鳥届の路上中央にあり、触れるとたたりをなすと伝えられ「たたり石」とも呼ばれている。
例祭8月26日。頼朝の旗挙げを模した行列のほか山車、屋台も出て販わう。また1月7日には特殊神事田祭(静岡県無形文化財)がある。これは白の面をつけた穂長と黒の面をつけた福太郎とが神社舞殿に相対して、問答をしなから田の打ち返しから、水口びらき・鋤ならし・種まき・草踏み・苗代見まわりなど稲作の所作を演じ、最後に鳥追いの歌をうたい夕立ちの降るさまを演する。
社宝に国宝北条政子奉納梅蒔絵手箱・日本書紀古写本(三島本)・宗忠銘太刀(重文)・源頼家必般若心経などのほか、移数の古文書刀剣等かある。社家は伊豆国造家の矢田部宿根(東大夫・西大夫)て大三島社家の越智宿根と同しく物部氏であるという。現在は各地の三島神社の本社ということから三島大社と称する。

神社辞典



伊豆三島神社

伊豆三島神社 名神大月次新嘗
伊豆は國名に同じ、三島は美之末と訓べし、和名鈔、(郷名部)三島、〇祭神大山祇命、(一宮記)○東海道君澤郡三島駅に在す、(但し社地のみは今も賀茂郡と称す)、○式三、(臨時祭)名神祭二百八十五座、伊豆國三島神社一座、○当國一宮也、(一宮記)〇日本紀神代巻上、一書曰、伊弊諾尊抜劒斬軻遇突智為三段其一段是爲雷神、一段是為大山祇神、一段是為高おかみ、○盛衰記四十五、伊豆國三島宮ハ伊豫ノ三島ヲ奉祝也、O伊豆志云、四神ヲ配シ祭ル、其一ハ伊古奈比刀A其三未詳、或五山祇トスルハ誤也、
類社、
越後國三島郡三島神社
連胤云、伊豫國越智郡大山積神社と同体也、是も常には三鳥明神と称す、三島といふは伊豫國ぞ原なるべき、越後國なるも同じかるべし、
鎮座
曽我物語異本云、朱鳥元年始顯伊豆國鎮守、
神位名神
日本後紀纂、天長9年5月庚戌、令ト筮炎旱、於内裏伊豆國神爲崇、癸丑、伊豆國言上、三島神、伊古奈比盗_、二前預名神、此神塞深谷、催高巌、平造之地二千町許、作神宮二院池三処、神異之事不可勝計(釈日本紀引用同じ。但し炎旱二宇八九畢に作る、)文徳実録、嘉祥3年7月辛亥、授伊豆國三島神從五位上、仁寿2年12月丙子、加伊豆國三島大神從四位下、又齊衡元年6月己夘、加伊豆國三島神從四位下、(同位重出不審)三代實録、貞観元年正月27日甲申、奉授伊豆國從四位下三島神從四位上、同6年2月5日壬戌、授伊豆國從四位上三島神正四位下、同10年7月27日戊午、授伊豆國正四位下三島神從三位」國内神名帳云、正一位三島大明神、
社領
扶桑見聞私記七云、治承4年10月21日、伊豆國御園、河原谷、長崎、可早奉免敷地三島大明神、右件御園者為御祈祷安堵公平、所寄進如件、源朝臣(頼朝也)」同三十八云、元暦2年4月20日、今日迎伊豆國三島社、祭日武衛御願ヲ爲果、当國糠田郷ヲ彼社二被寄附、而從是饗二御奉寄之地三箇処有之、今既爲四箇所也、相分之河原谷三園以テ、6月20日臨時ノ祭之領所二募リ、被付神主東大夫盛方、糠田長崎ヲ以テ、8月二宮八幡宮放生會料所トシテ、被付ニ神主西大夫盛成、是皆北條殿御奉リテ令施行給、○当代御朱印高五百石

神社覈録






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