大山祇神社
おおやまずみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大山積神社(名神大) 伊予国 越智郡鎮座

   【現社名】大山祇神社
   【住所】愛媛県今治市大三島町宮浦3327
       北緯34度14分52秒、東経133度0分21秒
   【祭神】大山積神
   【例祭】4月22日 例祭
   【社格】旧国幣大社 伊予国一宮
   【由緒】推古天皇2年創立
       大宝元年(701)現在の地に遷
       霊亀2年(716)造営
       養老3年(719)4月22日造営
       保延元年(1135)本社に雷神、高籠神を加える
       元亨2年(1323)兵火焼失
       天授4年(1378年)本殿造営
       慶長7年(1602)拝殿造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】初め大三島の南東上浦町瀬戸に造立
        大宝元年(701)現在の地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「三島大明神」と称していた
   【公式HP】 大山祇神社
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       拝殿・神饌所・神符授與所・神門・手水舎・絵馬殿
       社務所・文書庫・國宝館・紫陽殿・大三島海事博物館

   【境内社】上津社・下津社・十七神社・御鉾神社・八重垣神社
        宇迦神社・姫子邑神社・祓殿神社・阿奈波神社・御子宮神社・厳島神社
        轟神社・天神社・八坂神社・五穀神社・祖霊社

   【境内図】 境内図

古来海上交通の要衝にあつて海上守護・渡航の神として、瀬戸内海で活躍した海の武士たちの守護神として篤い信仰が寄せられ、地神・海神兼備の大神として、四国唯一の国幣大社として、伊予国一の宮として、全国万余の大山積神をまつる神社の総本社として崇敬をあつめている。
背後の鷲ヶ頭山は古名を神野山と呼び、安神(あんじん)山、小見(おみ)山とともに本社、上津社、下津社の神体山とされ、室町時代の古図にも、その天部に三山が描かれてゐる。現在の社殿は三山を拝するに最適の地と考えられる大三島町宮浦字榊山の地にあり、本殿の裏手はその祭祀遺跡とされている。
古来、武将の尊崇篤く、この神社には国宝や重文に指定されている武具甲冑の8割が収蔵されている。
三島大祝は擬神体・半大明神として大山祇神社第一の重職であり大祝家は連綿として今日まで奉仕を続けている。


由緒

大山祇神社由緒
御祭神大山積神
御祭神大山積大神は、天照大神の兄神で山の神々の親神に当たり(古事記・日本書紀)天孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命の父神にあたる日本民族の祖神として、和多志大神(伊予国風土記)と申し上げる。
海上安全の守護神である。
地神・海神兼備の大霊神として日本の国土全体を守護し給う神であるところから古代より日本総鎮守と尊称され朝廷を初め国民の崇敬は各時代を通して篤く中世は四社詣、五社詣の中心となり、平安時代既に市が立ち現在に続いている。
御分社は全国に10,000余社祀られ、延喜式名神大社に列せられ伊予国一の宮に定められた。明治以降は国弊大社に列せられ四国で唯一の大社としして尊崇されている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




大山祇神社

重要文化財
御本殿
御本殿はまた宝殿ともいわれ、三間社流造、屋根は桧皮葺、外部は丹塗の規模雄大な社殿で、神社建築史上流造りとしては日本の代表作といわれている。
元亨2年(1322年)兵火にかかり、天授4年(1378年)に再建されたというが、昭和28年に解体修理を行った際、向拝斗組や内陣に安置されているお素屋床板から「応永34年(1427年)六郎三郎これを造る…」という墨書を発見、その頃までの建造であることが明らかになった。いずれにしても鎌倉末より百年の歳月をかけて御造営されたことが古文書等により明らかにされている。
蟇股は、菊唐草、桐唐草、牡丹唐草の透彫、その他手挟、脇障子、欄間、懸魚等にも変化に富んだ装飾技法を駆使し、剛健な軸部の手法によく対比調和させた出世のものである。
日本総鎮守
大山祇神社は、瀬戸内海の中でも特に景勝の地である芸予海峡の中央に位置し大小の島々に囲まれた国立公園大三島に、日本最古の原始林社叢楠群に覆われた境内に鎖座している。
御祭神は大山積大神一座で、天照大紳の兄神に当らせられる。またの名を吾田国主事勝国勝長狭命(大山積神の擬神体)と称し、女木花開耶姫尊を瓊々杵尊の后妃として国を奉られたわが国建国の大神であると同時に、和多志大神と称せられる地神・海神兼備の霊神であり、日木民族の総氏神として古来日本総鎮守と御社号を申し上げている。
神武天皇御東征にさきがけ、祭神の子孫・小千命が先駆者として伊予二名島(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司っていた時、芸予海峡の要衝である御島(大三島)を神地と定め鎮察したことに始まると伝えられる。御社号・日本総鎮守・三島大明神・(大三島宮)と称し歴代朝廷の尊崇、国民一般の察敬篤く奈良時代までに全国津々浦々に御分社が奉斎せられた。伊予国一の宮に定められ、官制時代には[国幣大社」に列せられた四国唯一の大社である。
国指定天然記念物
小千命御手植の楠
大山祇神社の御神木として境内中央に聳える。御察神・大山積神を大三島の地へ勧請された小千命によって植えられたと伝えるもので、その時代は神武天皇御東征前と云われる。
古代が今に甦る
日本一の武具館と国宝・重文の宝庫
全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割がこの大三島には保存されており、日本の武具館として全国に知られているが、また、武具の他にも多数の文化財を有している。
室町時代に再建された御本殿は流造を代表とする建物として、切妻造の拝殿とともに重要文化財に指定されている。十七神社御鎮座の御神像は平安朝の木彫で重要文化財に指定、斉明天皇御奉納の禽獣葡萄鏡は国宝に定められ、他に百余面の和鏡は女性の参拝祈願を伝えている。三蹟の一人藤原佐理は乗船の船板に「日本総鎮守大山積大明神」と書き著し航海の安全を祈ったが、これが重要文化財の神号扁額である。また、昭和47年(1972年)5月重要文化財の指定を受けた文安2年(1534年)から寛文11年(1761年)に至る227年間の間に詠まれた281巻の法楽連歌は、近世伊予に開花した文化の基をなすと云われている。
国宝 赤糸威鎧(大袖付) 源義経奉納
国宝 禽獣葡萄鏡 斉明天皇奉納
国宝 紺糸威鎧兜(大袖付) 河野通信奉納
海渡る、遥かなリし浪漫
緑の島が無数に点在する芸予の海。
遥かなりし千古の昔、
この海に夢を追った男たちがいた。
日本の歴史を華やかに彩ってきた神の島。熱き闘志を燃やし、勇名を馳せた男たちのきらびやかなる時代がここにある。
国宝 牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵
護良親王奉納(鎌倉時代)
国宝 紫綾威鎧(大袖付)源頼朝奉納
愛媛県有形文化財 大山祇神社古図
室町時代
その他の主な重要文化財
○神号扁額(参議藤原佐理奉納)、平安時代
○窯紫韋威胴丸大袖付
(木曾義仲奉納)、平安時代
○螺鈿飾太刀(平重盛奉納)、平安時代
○薙刀(武蔵坊弁慶奉納) ○赤漆塗重藤弓
(鎮西八郎為朝奉納)、平安時代
○革箙(和田小太郎義盛奉納)平安時代
○三島神紋流旗(河野通信奉納)
○藍韋威鎧(河野通時奉納)
○萌黄綾威腰取鎧大袖付
(河野通有奉納)、鎌倉時代

由緒書



大山祇神社

日本総鎮守
  大三島宮 大山祇神社由緒
  御祭神 大山積大神
御祭神大山積大神は天照大神の兄神で山の神々の親神に当り(古事記・日本書紀)天孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命の父神にあたる日本民族の祖神として、和多志大神(伊豫國風土記)と申し上げる。
海上安全の守護神である。
地神・海神兼備の大霊神として日本の国土全体を守護し給う神であるところから古代より日本総鎮守と尊称され朝廷を初め国民の崇敬は各時代を通して篤く中世は四社詣、五社詣の中心となり、平安時代既に市が立ち現在に続いている。
御分社は、全国に10000余社祀られ、延喜式名神大社に列せられ伊予国一の宮に定められた。
明治以降は国幣大社に列せられ四国で唯一の大社として尊崇されている。

社頭掲示板



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