敬川八幡宮の境外末社。 かって民家近くの山にお移ししたところ、災害が続き元の山上へ帰りたいとのお告げがあったので、お帰り頂いたと伝。 |
妙見神社 妙見神社沿革 鎮座地 江津市敬川町妙見山1977番地(海抜167m) 後祭神 本社(通称奥の社)素盞鳴尊 妙見大明神 中山社(〃中山権現)伊弉諾尊 伊弉冊尊 山門社(〃麓の権現)大山祇神 宝物 力剣一振 備前長船(天正年間 松原名主寄進) 例祭日 12月最初の日曜日(かつては旧12月戌・亥の日) 由緒 創建不詳であるが、学者石田春律著「石見八重律」に「妙見大明神 推古天皇の時勧請、文化12年迄1212年に成る」と書かれており、905年勅命により編纂された「延喜式」に書かれている「式内社 山辺神社」ではなかろうかとの学者の論がある。 慶長9年社領二石と八幡宮より社格も高かったが、明治6年一村一社の制により無格社となつたが、敬川の守り神として今も人々の信仰が厚い。 御祭神の御霊威により、海の守護神・厄難除の神として霊験あらたかで神威を伝える伝説が多い。 〇賊が宝剣を盗んで逃げた、三坂峠で深夜枕元の宝剣が激しいつば鳴りをしたので、恐ろしくなって引き返し妙見神社に返したという。 〇妙見神社を望む沖を通る船は、帆を三寸下げ礼拝しないと船が前に進まなかったという。 〇民家近くの山にお移ししたところ、災害が続き元の山上へ帰りたいとのお告げがあったので、お帰り頂いた。 平成8年12月吉日 妙見神社修復委員会・氏子中 社頭掲示板 |