物部神社
もののべじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】物部神社 石見国 安濃郡鎮座

   【現社名】物部神社
   【住所】島根県大田市川合町川合1545
       北緯35度9分18秒、東経132度30分48秒
   【祭神】宇摩志麻遲命
       (配祀)饒速日命 布都靈神 天御中主大神 五神 鎭魂八柱
       (合祀)天照大御神

   【例祭】10月8日 例大祭
   【社格】旧国幣小社 石見国一宮
   【由緒】継体天皇8年(513)社殿創建
       貞観11年(869)3月22日正五位下
       貞観17年(875)10月10日正五位上
       元慶元年(879)9月従四位下
       天慶4年(941)従四位上
       天文11年(1542)大内義隆太刀を奉納
       弘治2年(1556)毛利元就大家郷の内三ケ所を寄進
       天正15年(1582)毛利輝元社殿造営
       寛文5年(1665)将軍家綱社領三百石の朱印状
       享保3年(1718)大火により社殿焼失
       安政3年(1856)造営
       明治4年8月国幣小社

   【関係氏族】物部氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】古墳(神陵)
   【祭祀】江戸時代は「物部神社」と称していた
   【公式HP】 物部神社
   【社殿】本殿春日造
       幣殿・拝殿・神饌所・神樂殿・参籠所・社務所・宝物庫・弓道場

   【境内社】後神社・神代七代社・皇祖四代社・荒経霊社
        須賀見神社・乙見神社・一瓶社・柿本神社・菅原神社・稲荷神社
        粟島神社・八重山神社・漢女神社・伊夜彦神社・中原若宮神社・新屋若宮神社
        川合神社・石上布留神社・熊野神社・児守社・一宮祖霊社・郷原若宮神社

   【境内図】 境内図

物部氏の祖宇摩志麻遅命を祀る全国唯一の旧官社である。
祭神宇摩志麻遅命は神武天皇の大和平定を助けた後勅命により、物部の一族を率いて、美濃、越国を平定し、石見国に入って八百山の麓にある宮居で死去したと伝えられ、社殿背後の八百山の古墳は神墓であるという。
石見東部に物部氏の祖神を祭る当社がある。古来出雲に対する大和朝廷の牽制的政策に基くものとされている。
物部竹子連が景行天皇の御代、石見国造となり、その後物部神社の宮司は物部氏の子孫が務め、明治以後男爵となって今日に続いている。


由緒

石見の国一の宮
物部神社
御祭神宇摩志麻遅命は、物部氏の御祖神として知られていおります。御祭神の父神である饒速日命は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯(いかるがみね)に天降り、御炊屋姫命を娶られ御祭神を生まれました。御祭神は父神の遺業を継いで国土開拓に尽くされました。
神武天皇御東遷のとき、忠誠を尽くしたので天皇より神剣フツノミタマノ剣を賜りました。また、神武天皇御即位のとき、御祭神は五十串を樹て、フツノミタマノ剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。(鎮魂祭の起源)
その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫(つるぶ)・忍原(おしはら)・於爾(おに)・曽保里(そほり)の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源)とされました。
次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山(つるぶさん)に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。(折居田の起源)

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



物部神社

社殿創建
最初は御祭神の御神墓を奉斎しており、社殿の裏山を八百山と称して崇めていましたが、天皇の勅命により継体天皇8年(513)、社殿を創建した。その後、三度兵火などで消失し、宝暦3年(1753)再建。文政元年(1818)の修理を経て、安政3年(1856)宝暦時の規模で改修され現在に至っております。
(現在、県指定文化財)
御神徳
御祭神は物部氏の祖神であり、大和朝廷の申食国政大夫という重職に任ぜられ、軍事・神裁などを掌どられたことから、古来より文武両道の神、また国土開拓の神として、領守や武将など朝野の厚い信仰をあつめていました。
奉射祭
奉射祭は1月6日の矢道式から始まり、7日の的前神事・奉射まで二日間の行事です。近年までは当社に奉仕する神職のすべてがこの行事に参加するよう義務づけられ、矢道式終了後、参加者は拝殿に参篭せねばなりませんでした。
奉射祭に先立ち、七草粥をお供えする神事(若菜御贄神事)と、宮大工の仕事始めの神事(斧始式)が厳かにとりおこなわれます。
鎮火祭(7月19日・夜)
神職は鳥井浦で禊ぎして身を浄め、神前に瓢箪・川菜・赤土をお供えし火難避けの祈祷をする古伝祭です。
往昔は村境に高札が立てられ、村内の鳴物が禁止され、火の使用が制限された程の大事なお祭りでした。今は境内のみ鳴物禁止となっております。
御田植祭(7月20日・昼)
五穀の豊作を祈る虫送りのお祭りです。代かき式やサンバイサンと呼ばれる田の神に見立てられた女童が菖蒲を撒く御田植式があります。このサンバイサンが撒いた菖蒲を田の水口に挿しておくと病害虫から稲を守ると伝承されております。
社宝
後小松天皇を始め歴代天皇の御宸翰・御物・重要文化財の太刀『了戒』、県指定太刀『雲生』、英一蝶筆『百鬼夜行之図』、狩野安信筆『鵯越之図』など刀剣、武具、工芸品、書画、古文書など450余点を蔵しております。
一瓶社の伝説
物部神社の境内地には一瓶社という厳甕を祀った末社があります。御祭神がこの地方を平定された時に三つの瓶を三ヶ所に据え、この地方を安住の地とされました。一番目の瓶は物部神社の一瓶社に納め、二番目の瓶は浮布池の邇幣姫神社に、三番目の瓶は三瓶山の麓の三瓶大明神に祀られ、このことから三つの瓶の山三瓶山の名がついたといわれています。古名は佐比売山といい、出雲国風土記の国引き神話には佐比売山としるされています。また一瓶社には室町時代頃の古備前の大甕(二石入り〕が現存しており、代々この大甕を使って神饌用の御神酒を造っています。(忌籠神事)
物部神社御祭神
主祭神 宇摩志麻遅命(物部氏初代)
相殿神 右座 饒速日命 布都霊神
    左座 天御中主大神 天照大神
客座
別天神 (天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神・宇麻志阿斯詞備比古遅神・天之常立神)
鎮魂八神(高皇産霊神・神皇産霊神・魂留産霊神・生産霊神・足産霊神・大宮売神・事代主神・御食津神)
境内摂社 後神社 師長姫命
境内末社 
神代七代社(東五社)国常立尊・国狭槌尊・豊斟淳尊・泥土煮尊・砂土煮尊・角杙尊・活杙尊・大戸道尊・大戸辺尊・面足尊・惶根尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊
荒経霊社(西五社の一)須佐之男尊
皇祖四代社(西五社)天忍穂耳尊・瓊々杵尊・彦火々出見尊・鵜草葺不合尊
須賀見神社 六見宿禰命
乙見神社  三見宿禰命
一瓶社 佐比売山三瓶大明神
柿本神社 柿本人磨朝臣
菅原神社 菅原道真公
稲荷神社 稲倉魂命  合祀 大穴牟避命・大年神・大地主神
粟島神社 少彦名命
八重山神社 伊邪那美命・大山祇神・若布都主神
境外摂社 漢女神社 拷幡千々姫命・市杵島姫命・爪津姫命
伊夜彦神社 天春具山命
境外末社
郷原若宮神社 味饒田命
中原若宮神社(元摂社) 彦湯支命
新屋若宮神社 武諸隅命
川合神社 竹子命(石見国造)
石上布留神社 十種神宝
熊野神社 高倉下命・少彦名命

由緒書



物部神社

御祭神宇摩志麻遅命は、物部氏の御祖神として知られております。御祭神の父神である饒速日命は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯に天降り、御炊屋姫命を娶られ御祭神を生まれました。御祭神は父神の遺業を継いで国土開拓に尽くされました。
神武天皇御東遷のとき、忠誠を尽くされましたので天皇より神剣?霊剣を賜りました。また、神武天皇御即位のとき、御祭神は五十串を樹て、?霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。(鎮魂祭の起源)
その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源)とされました。
次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。(折居田の起源)
社殿創建
最初は神体山である八百山を崇めていました。後に、天皇の勅命により継体天皇8年(513年)社殿を創建し、その後、石見銀山争奪の兵火などで三度消失しました。
宝暦3年(1753年)再建され、文政元年(1818年)の修理を経て、安政3年(1856年)宝暦時の規模で改修され現在に至っています。(現在、県指定文化財)春日造では全国一の規模です。

公式HP



物部神社

県指定有形文化財
物部神社本殿
(大田市川合町)
本殿は社伝によれば天文19年(1591)吉川元春により再建されたと伝えられる。享保3年(1718)に一度焼失し、宝暦3年(1753)に再建されている、現在の本殿はこの宝暦にたてられた社殿の様式をひきついでおり、県内では出雲大社につぐ大規模な本殿であり多くの人々に親しまれている。なお、祭神は物部氏の祖神宇摩志麻遅命で、石見国の一宮として崇敬されている。
本殿の建物は高さ16.3mある、正而3間、背面2間、側面2間の身舎の前面に正面3間、側面1間の前室(向拝の間)をつけている。屋根は身舎が切妻造り・妻入りの形式で、これに庇屋根をつける春日造りの系統であるが、深い庇を支えるための隅木を人れる手法を取りいれている。 春日造りの建築でありながら、高床・千木・勝男木・大棟など出雲地域の神社建築の影響が随所にみられる点が特徴である。
昭和45年(1970)10月27日指定
平成12年(2000)3月 島根県教育委員会 大田市教育委員会

社頭掲示板



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