社名が示すように当初は長い谷の奥に鎮座していたと思われる。 員弁川南岸、桑部小学校西の県道3号の南に接して鎮座する。 称徳天皇神護景雲元年常陸国鹿島神宮の祭神を勧請して、桑部村谷奥長谷に祀つたが、正安年間今のところに遷したという。 地形上昔は谷間であつたらしく、地名の示すように長谷を形成し、町屋川に支流が流れこんでいたものと思われる。その谷奥に旧社地があつたのが、谷川の消滅とともに正安年中に本道に近い入口に移つたものであろう。 |
長谷神社 桑名市大字桑部西貝戸に鎮座する延喜式内長谷神社は式内社桑名郡15座の一つに数えられている。延喜式とは勅命により延喜5年(10世紀初)から十数年を費して編集完成した禁中の制度儀式作法などを記した書物であり延喜式内とは延喜式50巻の内9巻から11巻にある神名帳に記録されている神社のことを言う。故に長谷神社は一千年以上の由緒ある歴史を持ち建御雷之男児屋根命を主神として他に数体祭られている。 建御雷之男神は春日信仰の主祭神で神護景雲年間に隆盛を誇る時の権力者藤原不比等(藤原氏の頭領)が常陸の国(茨城県)より春日山に祭り□□□藤原氏の氏神として崇拝した。これが現在各地に祭られている春日神社の始まりである。 この建御雷之男神を勧請の時常陸国より使者が当時交通の要所であった桑部に立ち寄った際藤原氏の隆盛にあやかりたいと当地の有力者の懇願によりその御分霊を桑部の長谷に鎮座させられたのが長谷神社のはじまりでその後200年を経て延喜式にも記載され桑名地方における最も由緒ある春日系の神社として崇敬された正安年間(13世紀末)に至って新興地として栄え始めた三崎三ヶ村(現在桑名市街地)の有力者が春日神を勧請した時も春日信仰の先達である長谷神社に敬意を表してその道中桑部に一夜鎮座された。 明治初年に至るまで桑名春日神社の御事には桑部の人達が招聘され長谷神社の協力を得てその神事が行われたと伝え聞くのもこの為である。桑名市史によれば長谷神社は約400年前洪水で御神体が長谷の旧境内から現在地に漂着して再建され今日に至っている。 長谷神社 社頭石碑 |
長谷神社 長谷は波勢と訓り、(朝明郡なるも同じ、暫く古点に從ふ、)〇祭神詳ならず 神社覈録 |