員弁川北岸、伊勢自動車道の東に鎮座する。 允恭天皇の代に創立。 古くはこの地一帯を額田村としていたが、後に部落が西北約一キロの地点に移住し、新たに額田村をつくり、額田神社を同地宮山に移して祭祀することになつた。旧地は後に人家盛大となり、名を増田村に改め、旧社地に従来の額田神社を祀ることになつた。 両村に分祀したのは文政8年(1825)という。旧地は増田村中央で「旧宮跡」の標あり。 当社の地が当初鎮座の地と思われる。 「これは非常に珍らしいケースで、かつて一村で祀つてゐた氏神を、分村したため二社に分社されたもので、したがつて、何れも式内社と称しても誤りではなからう。」(式内社調査報告) |