社名の「小山」は、この地の豪族「小山連」の氏神として名付けられたもので、やがて地名にも変っていつたものと思われる。 肱江川の北岸、山麓に鎮座する。 由緒は詳らかでないが、小山連の始祖を祀る社として創始せられたものである。 |
小山神社 祭神 櫛玉神、大山津見神,火之加具土神,(別名、火之舷毘古神,火之夜芸速男稗)佐軍神 〒511-O105 鎮座地 三重県桑名市多度町小山1197 由緒 当社の創祀については詳にし難い。「延喜式神名帳」所載の伊勢国桑名郡15座中の「小山神社」と伝えられている。「新撰姓氏録」に「小山連 高御魂命子櫛玉命之後也」とあり、主祭神の櫛玉命を奉斎する小山連との関係が強い。周辺部に六世紀頃の有力者を葬った墓をはじめ、附近一帯に小さな群集墳が散在しており、当時の中心地であったとともに地名の「小山」が、この他の豪族小山連から名付けられたとすれば.「神社覈録」(式内社および式下社の著名な神社について調査考証したもの。鈴木連胤著 明治3年成立75巻)が述べる如く、小山氏の奉斎した神社が当社であったことが惟定される。奈良時代に多度神宮寺が創立せられた頃、小山には「北小山廃寺」と「南小山廃寺1があり、南小山廃寺跡の一部は小山神社境内地となっており、この点からも当社が神仏関係が濃厚であったと考えられている。その後文徳天皇仁寿元年(851)には正六位下に、土御門天皇建仁元年(1201)、亀山天皇弘長元年(1261)にも神階を各々進められ従五位上に叙せられている。近世には、日光八龍社と称されていたと「神名帳考証」はじめ「勢陽五鈴遺饗」等の地誌類は奇祭している、又造営修造もたびたび行われていたことが現存する天和2年、安永2年、天明6年、天保4年、明治5年、同18年等の棟札により判明しており、小山村の産土神として近郊の人々の篤い崇敬をうけていたことが知られる。 社頭掲示板 |
小山神社 小山は哀夜萬と訓べし○小山連祖歟○小山村に在す、(考証)○姓氏録、(左京神別中)また、(摂津國神別)小山連、高御魂命子櫛玉命之後也、 神社覈録 |