古くは「八剣社」とも称し、記紀に記されたヤマトタケルが東国からの帰途、伊吹山から養老山系の東麓を通って尾津前(おづさき)まで戻ってきたときに、往路に立ち寄った際に置き忘れた太刀が一本松のところにそのまま残っていた。という伝承により、この地に神社を建てたという。 |
日本武尊尾津前御遺跡 昭和16年8月16日指定 日本武尊は景行天皇の子で、天皇の命を受け関東へ同かう途中、尾津浜に至り、この地に刀を忘れた。東国平定の帰途、尊は再びこの地で置き忘れた刀が残つているのを見つけられた。尊は感激し、次の歌を詠まれた。 おわりにただにむかへるひとつまつ あわれひとつまつ ひとにありせば きぬきせましを たちはけましを (もしもこの一本松が人であったならば、太刀を守った褒美として、衣服と太刀を与えるであろうに)日本書紀より これは、刀を守った松をほめたたえているが、そのうらには、この地に住む人々の気持ちまでもたたえているものと思われる。 この話は史実ではないが、大和朝廷が関東を平定していったことを、一人の武将に象徴させたものといわれている。ただ、この尾津浜が尾張に向かう港であり、北勢地方の一拠点であつたことを物語るものであろう。 桑名市教育委員会 社頭掲示板 |