尾津神社
おづじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】尾津神社二座 伊勢国 桑名郡鎮座

   【現社名】尾津神社
   【住所】三重県桑名市多度町小山 49
       北緯35度8分7秒,東経136度38分26秒
   【祭神】倭建命 足鏡別命 (配祀)大山津見神 祭神不詳
   【例祭】10月11日 例大祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】尾津別
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】
   【公式HP】 尾津神社
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・祭器具庫・社務所

   【境内社】

近鉄養老線多度駅のすぐ東にあり


尾津神社

由  緒 当社の創祀並に出納については 詳にし難いが、社伝によれば「記紀」に日本武吟が東国征伐の往路に尾津浪の松の下に剣を置き忘れたが、帰路まだ剣が残っていた。 そこで尊は「尾張に 直に向へる 一つ松あはれ 一つ松 人にありせば 衣著せましを 太刀佩けましを」と詠まれたと言ひ、 この縁由より日本武尊とその御子である足鏡別王(始祖)を祀ったと伝へられている。 平安時代には『延喜式神名帳』の桑名郡に尾津神社の名がみられ近世以降当社を『延喜式』に載せる小津神社に比定する悦が有力となっている。 その理由は、「当社の近辺は往古多度川が海にそそぐ海浜地帯であり、景行天皇紀にみえる「尾津浜」「尾津前」の地名は、この小山の尾津のうちに当ると考えられ、 又「小山」の地名は、小山連の氏族名からでたもので古い地名である」と『式内社調査報告』(昭和52年皇學館大学出版部)は報告している。 神階は従五位下に叙せられている。  大正7年(1918)3月山神社、佐軍神社、八龍大明神を合祀した。
なお現在、神職は不在で、多度大社が兼務している。

公式HP



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