社名は奉祭した鳥取氏によると思われる。 垂仁天皇24年創建という。元亀年中(1570-73)に兵乱で大破した。 別当は大雄山光蓮寺。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が桑名に滝川氏を攻めた際、光蓮寺に陣を敷いた。 社地からは多くの縄文式土器・彌生式土器などが出土したという。 |
鳥取神社 天湯河桁命を祀り、合殿梅津御厨神明社に天照大神を祀る、明治42年稲荷神社、厳島神社、山神社を此処に合祀せらる。この神社は垂仁天皇の24年の創建にして、元亀年中大破に及びたるを以て、安政2年8月に及び之を再建したり。口碑によれば、本社は創建以来数度の騒乱により書類紛失したりと雖、笠間郷の惣社にして『延喜式神名帳』に員弁郡一〇座の内鳥取神社とあるは是なりと。上古、大雄山光蓮寺はこの神社の別当寺なりき、天正11年豊臣秀吉桑名に瀧川氏を攻むるや、美濃土岐多羅口より此処に来り、光蓮寺に陣して当社に参詣して戦捷を祈り、神酒料として百文を奉納せられたりと云う 員弁郡郷土資料 |