社名の「鳥取」は姓氏の名、「山田」は地名を以てすると思われる。 員弁川北岸、総合文化センターの東南の平地集落の中に鎮座。 この地は山田御厨の地という。 境内の社殿東にあるクスノキはその樹齢千余年と言われており、御神木ともなっている。 |
鳥取山田神社の歴史 文献によると、延喜式内鳥取山田神社村の内字大宮に在り、神殿南向、祭神三座。 鳥取連の祖、「天湯河角凝魂命」を中座とし、左稲荷社、右は春日明神を祀る。延喜年5年(905年)の「神明帳」に名記されている神社である。 1080年の古きにこの村や神社があったことがわかる。北山田村(鳥取)、と共に鳥取連の開いた村で、惣社として祀られた。この地の開発の歴史や氏族の消長推移などを知る上に大切な神社といえる. 明治40年に村内に鎮座の次の諸神を合祀した。 ・八幡宮品陀命(はちまんぐうほんだわけのみこと) ・字天野の八坂社素戔鳴命 ・字浦畑及天野の(ひむすび) ・字下貝戸の天神社菅原道真 ・字大倉の山の神大山祇神(おおやまつみかみ) ・字西佃の御厨社天照大神 ・字繕間の八坂社牛頭天王の八社(ごずてんのう) 境内には幹周一丈5尺(約3.3m)余.高さ6丈(約18m)樹齢千年を越す老樹(くすの木)がこの社の古きを示している。 天保(江戸後期「1830〜1844」年間の「北勢俚記」によると、当時山田村に居住した氏族、祖神の惣社とは別に特に信仰の厚い神を居住近くに祀り、一族の繁栄、五穀豊穣、無病息災を祈願した素朴な祈りの生活が伺われて珍しい。<員弁史談「近藤實著」>より 社頭掲示板 |
鳥取山田神社 鳥取に止々利、」山田は、夜萬多と訓ベし、○祭神詳ならず○山田村に在す、(考証、俚諺) 連胤、按るに、諸説天湯川桁命を祭ると云り、北勢古志も是に從へり、されど鳥取神社こそさも有べき、当社は鳥取と云地に在と山田と称すが社號正面なれぱ、地主神をも祭りたるならん、和名鈔(郷名部)に、野摩(也末)とあるをみれぱ、この山田と一ツの名にて、却て鳥取よりは山田の名が、古くもあらんか、思ふまゝに暫く祭神群ならずと記せり、又云、考証には南山田村と云、其外には北山田村と云、古志は北山田村の南方山田村に在と云、一定し難し、こは國人にきかば直に分るベし、 類社 近江國犬上郡、同國坂田郡、讃岐國刈田郡山田神社、(各一座) 神社覈録 |