員弁川と鎌田川の合流点近くの台地の上に鎮座する。 仁和2年(866)創立と伝う。 「石加」は、「石処(いしか)」の意であると考えられ、「か」は「在りか」「住みか」など、所・場所の意を表す「か」である。 この地一帯のは石灰石の産出地で石工も多く、石神の信仰が深く、石榑村の石部神社、石加神社など、共にこの地方氏族の崇祀したものと考えられる。 |
石神社のカゴノキ 所在地 : 三重県員弁郡藤原町大字石川 員弁川と鎌田川の合流点近くにある石神社、拝殿の左右に立派なケヤキが聳えていてその方に目を取られてしまいますが、拝殿右奥の雑木林の中に隠れるようにして立っているクスノキ科 常緑中高木であるカゴノキがあります。樹高16m、目通り幹周り3.2mの樹ですが、立地条件の関係からさほどの大きさを感じることはありませんがカゴノキとしては立派な大きさです。カゴノキは樹皮が丸い薄片状に剥げ落ち鹿の子まだらをなすのが特徴で「鹿の子の木」の和名があります。 http://homepage2.nifty.com/Hiro-Akashi/htm-mie's2/ishikagonoki.htm |
石神社 石神は以之加と訓べし、和名鈔、(郷名部)石加、(假字上の如し)○祭神石神〇石加郷石川村に在す、(双紙、俚諺) 北勢古志に、此神社は古谷双紙、俚諺抄に石川村に在と云り、今の世石川東禅寺の間に在て、二村の産土神と持いつく社也、さて祭神は右の書どもに、御食津姫命と云るは、何によれるかいとみだりがはし、豊宇氣姫神、大宜都比売神、保食神、宇迦之御魂神など、食の事によしある神たちはおはすれども、こはさやうの神なるべき拠をしらず、故思ふに、云々、又捜神記に、豫章の載氏が女、病を一ツ石に祈て復本の後、祠を建て神とし祭る、是を載候祠と名つくとも見え、■■風土記に、其國の宮観は一塊石を主とし祭る、中國社壇中の石の如しと云事も見えたるよし、和訓栞に云は、今思ふに、もしくは是も右の類にて、直に石を祭れるにはあらじか、石加郷石川村の所にありて、今も石ども多かれば、石神社の名いと似つかはしく覚ゆと云り、尤然るへし、考証に、大御食都姫神今在飯倉村、といへるは例の論ぜず、 神社覈録 |