鴨神社
かもじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】鴨神社 伊勢国 員弁郡鎮座

   【現社名】鴨神社
   【住所】三重県いなべ市大安町丹生川上 429
       北緯35度7分19秒,東経136度30分39秒
   【祭神】鴨別雷命 (配祀)玉依姫命
       (合祀)伊邪那岐命 誉田別命 須佐之男命 市寸島姫命 天照大御神
       火産霊神 大山祇神 菅原道真

   【例祭】10月20日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天武天皇2年(673)に記録有り
       元亀年中信長の兵火で焼失
       明治4年9月20日郷社

   【関係氏族】鴨氏
   【鎮座地】古くからこの地にいた賀茂県主家の祀る神社
        移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流れ造木造銅板葺
       拝殿・書院・社務所

   【境内社】

平地の集落の中に鎮座している。
『大安寺資財帳』天武天皇2年(673)の記事に当社の記載があり、当時より存在している古社である。
古くからこの地にいた賀茂県主家の祀るところであるとされている。
元亀年中信長の兵火で焼失したという。
昭和34年の伊勢湾台風で境内の杉の大木のほとんどを失う被害を受けたが、巡見道の西側にあるその社殿は風格があり、本殿の大きさは郡内随一である。
境内には「鴨神社夜火松明」行われる祭壇が設置されている。





大安町丹生川 夜火松明

夜に火という字を書いて夜火(やほ)と呼ぶ祭りが、大安町丹生川にある鴨神社で行われました。400年ほど前から続いている伝統行事で「虫送り」にと行われています。夜火祭りは、丹生川に住む20歳代から30歳代を中心に、火の付いた松明を振り回します。メインとなるのは、重さ1トン以上ある松明を使った相撲です。鴨神社の神職によって、火がつけられたあと2つの松明が、土俵で押し合いました。一方が上を乗り越えれば勝負あり。そのあと、2つの松明を鳥居の下で持ち上げ焦がします。こうする事で、厄を払うという言い伝えがあるそうです。別名「あとにも先にも丹生川祭り」と呼ばれるほど、激しい火の祭りに、多くの人が訪れ、見入っていました。

http://www.cty.co.jp/tv/20ch/news/data2002/021021.html



延喜式内 鴨神社

由緒
創始年代不詳であるが、延喜式神名帳に伊勢国二百五十三座、員弁郡十座の社にして大安寺伽藍縁記流起資財帳並に式内神社検録」に、天武天皇2年(673年)に朝廷から大安寺へ寄進された墾田の中に、鴨神社の名が記されていることから(平成29年より遡り)1344年前に此地に鎮座せし事明らかなり。建治元年(1275年)7月20日神階従二位を宣下。明治6年3月郷社に指定される。
祭儀
屋奉(やほ 夜火、野火)松明祭り この神事は鴨神社創建のとき、京都から御神宝を迎えたときの模様をかたどって始められ、10月20日の大祭(現在は三年に一度、20日に近い土曜日)の夜に行われ、勇壮で厳粛な神事である。
神社境内屋形収納庫の絵巻は、平成27、28年の夏休みに、いなべ総合学園美術部の教師、生徒の皆さんに暑い中で描いて頂いたものです。
また、屋泰松明等の文字は同学園書道部の皆さんの揮豪を写したものです。
絵巻は社殿側から、屋奉ふり、七度半の使い、大松明による烏居奉焼、神事を締めくくる飛角力が描かれています。
伝承
鳥居南の楠の大木(幹回り約6m、樹齢約500年)は天正2年頃(1574年)織田信長が北勢地域に侵攻したおり、信長が馬を繋いだと伝わっています。
平成29年9月(皇紀2677年・西暦2017年)

社頭掲示板



鴨神社

鴨は加毛と訓べし〇祭神詳ならず○丹生川中村に在す、(古志)〇神鳳抄云、員辮郡、鴨大明神社神田并幣料、○大安寺天平資財帳云、員弁郡宿野原伍百町云々、四至東鴨社、南坂河、西山、北丹生川、
北勢古志云、此神社古谷双紙には、丹生川久保村に在と云、俚諺抄には丹生川上村に在と云は共に違へり、今考るに同じ丹生川の内にはあれども、上中下久保とある中に、此神社は中村の処に在て、里人八幡神明権現とよぴて、四村総ての産土神と齋奉れり、さて祭神古谷双紙には、天神玉命、俚諺抄には大年神と云る、共にいみじき妄事也、其論賀毛神社の処に委しと云り、(連胤云、賀毛神社の條考合すべし、〇考証に神皇産霊命と云るは論なし、)
類社
山城国愛宕郡賀茂別雷神社の條見合すべし

神社覈録



郷社 鴨神社

祭神 別雷大神 玉依姫命 天照皇大神
   火産霊神 大山祇命
合殿 伊邪那岐命 品陀和氣命
創建年代詳ならす、相伝ふ、往古丹生川久上村に鎮座して上村中村下村の産土神と齋き奉ると、延喜の制式の小社に列す、神名帳考証に、「鴨神社、天神玉命」と云ひ、神名帳考証再考に云く、「考証に云ふ、神皇産霊尊を祀ると是也、カモはカミにして、ミの用モなれば、神皇産霊の略語歟、古事記に云く、神皇産霊尊、大氣津比売の身より生せる五穀を取しめて、殖る事をなすと、此郡名、和名抄に云く、員部(井奈倍)按ずるに、飯の切ヰなり、ノとナは同じく、姫の切へなり、しからば今ナベは飯之姫の約まれる詞也、(〇頭書云く、イヒの切ヰなるは、暇字五十音の帰切、アイウエヲを父字とせるは、ヤヰユエヨに反納す、イムの切宝の類なり、)其飯之姫は、豊宇気姫にて、則大氣都比売と同神とす、此神の身より生ぜる処を得て、殖る事をなし給ふ功を尊びて、神皇産霊尊を祀る也、社地丹生川村神明といふ」と又、神社覈録に「鴨は加毛と訓べし、祭神詳ならず、丹生川中村に在すと見え、北勢古志に云く、此神社古谷双紙には、丹生川久保村に在りと云ひ、俚諺抄には丹生川上村に在りと云ふは共に違へり、今考るに同じ丹生川の内にはあれども、上中下久保とある中に、此神社は中村の処に在りて、里人八幡神明権現とよびて、四村総ての産土神と斎さ奉れり、さて祭神古谷双紙には、天神玉命、俚諺抄には大年神と云へる、共にいみじき妄事也、其論賀毛神社の処に委しく云へりと尚連胤云く、賀毛神社の條考合すべし、考証に神皇産霊命と云へるは論なし」と附記せり、神祇志料に云く、「鴨神社、今丹生川の上村に在り、神明宮と云ふ、五瀬遺稿の文亦同じ、而して神田神戸に関しては、神鳳抄に員辮郡、鴨大明神社神田并幣料」と見え、大安寺天平宝宇資財帳に「員弁宿野原伍百町云々、四至東鴨社、南坂河、西山、北丹生川」とあり、尚社伝に依れば、祭神鴨別雷命玉依毘売命二柱を合せ祀り、相殿には伊邪那岐神八幡大神二柱を祀る、蓋此丹生川の名先に在り、而して後鴨神社を移し奉りしか、又は鴨神社在りて後丹生川の称起るか、必す深き故由あるべし、恨らくは近世元亀年中織田信長公、勢國征討の砌、別当正法寺神宮服部将監なる者当国の諸士等と同意し織田公に抗敵せしにより、遂に火を放たれ別当神官の住居は勿論、延いて社殿及び古記録に至るまで悉く焼失し、唯僅に綸旨四通(今当村伊藤市松氏所蔵)其他一二の神宝災を免ると云ふ、明治8年郷社に列せられ、其後明治41年無格社十三を本社に合祀す。
社殿は神殿、拝殿、雨覆上屋、瑞垣、島居等具備し、境内坪数1106坪(官有地第一種)を有す。
宝物は弓二帳、箭四筋、刀二口あり。

明治神社誌料



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