JR朝日駅西の丘の上に鎮座する。 創祀年代は詳らかではない。 元は柿村大字井戸尻(柿村字元田1093番地)の田間に鎮座し、貴船大明神と称されて崇敬を集めていた。 この地は低湿地で狭く、かつ人家より俯瞰される場所であったので、明治44年式内社移田神社を合祀するにあたり、両社の氏子は高燥の地に御遷座を願い、現在地の柿村字城之広に、移田神社を合祀の上、移転し、延喜式内井後神社と単称するに至つた。 |
由緒 当社は壱千有余年前の御創建にかかり祭神は高お神と称し俗に貴船大明神とも称し奉る。延喜式神明帳に朝明郡24座の内井後神社とあり、三国地誌勢陽俚諺、古屋草紙 式内案内記、北勢古志徴古録等何れも朝明郡柿村と記さる。 往昔井戸後御鎮座にて今村の氏神なりしが、安永年間当時今村は、柿村に併合され、その産土神となれり、旧本社井戸後の地は周辺水田に囲繞された、低湿地にて排水の便よろしからず常に民家から瞰下される位置にあり尊厳風致上好ましからず、本社は隔絶の景勝地柿村城之広山頂に無格社山神社、祭神大山祇神が鎮座されていた 明治年間の合祀にて、高お神と共に、祭神建速須佐之男神を城之広大山祇神境内に遷座奉斎す その後護国の神霊も併せ奉祀し奉る 多賀大社祭神伊邪那岐伊邪那美神も井後神社境内に摂社として奉祀され以後延喜式内井後神社と称号し奉る。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |