明治の初め桜神社と呼ぶようになった。名称変更の理由や神社の由緒などは詳らかでない。 明治45年(1912)、札場新田(札場町)の神明社などと共に中里村(朝明町)の石部神社に合祀された。 昭和27年(1952)、神社の復帰を望む山城の住民によって山の神と共に石部神社から分祀して旧社地へ遷座した。 |
桜神社 祭神は、天照大御神・木花咲耶姫命・大山祇命を祀る。山城町字南屋敷(またの地名を「ぬのつち山」、「頂棍突山」ともいう。)に鎮座し、近在の人々は富士権現と崇め、明治の初め桜神社と呼ぶようになった。名称変更の理由や神社の由緒などは詳らかでない。この地は、あたかも富士山に似ており、祭神の木花咲耶姫命は富士山本宮浅間大社の分神と言い伝えられ、火難消除・農漁業の守護神で、特に安産の神として厚く信仰されている。また西の山・南屋敷・穴田に祀られていた「山の神」も明治の初めに当社に合祀された。その後石部神社に合祀され、昭和27年山城町住民の意思で旧社跡に分祀し、今日の桜神社となる。 下野地区史跡委員会 社頭掲示板 |