布自神社
ふじじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】布自神社 伊勢国 朝明郡鎮座

   【現社名】布自神社
   【住所】三重県四日市市山村町892
       北緯35度2分3秒,東経136度38分16秒
   【祭神】木華開耶姫命 (配祀)天照大御神 菅原道真
       (合祀)市杵志摩姫命 倉稲魂命 大山祇神

   【例祭】10月10日 例大祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳
       明治40年11月各社を合祀し現社名
       大正2(1913)年3月広永町の穂積神社に合祀
       戦後もとの場所に再興

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない
        大正2(1913)年3月広永町の穂積神社に合祀
        戦後もとの場所に再興

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「富士宮」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

四日市JCT東、山村貯水池の南、尾根の上に鎮座する。
世尊寺の境内から石段を登った奥にある。
この地に大きな森あり明治までは漁民の帰途目標となっていて、漁民の崇敬があつい。
明治30(1897)年にこの神社の付近で古代の金製の耳環が発見され、この辺りは金塚古墳群とされている。
大正2(1913)年3月広永町の穂積神社に合祀されたが、戦後もとの場所に再興された。
当社を式内社「桜神社」に比定する説もある。


布自神杜

布自は假字也〇祭神木華開耶姫命、(古志)○山村に在す、(俚諺、古志)
北勢古志云、此神社は山村にあり、徴古録、古谷双紙、俚諺抄の類の書にも則然云り、然るを或書に、埋縄村に在よし云るはいみじき非也、さて此神社の在所は、山村の北方なる山中にて、則其処を富士山とも富士森とも云、御社を富士宮と云り、朝明郡の北のはてにて、員弁郡に境たれば、中比よりまぎれて、能部村の神社の如くなりしを、今はまた古にかへりて、山村の方となれるぞよき、さて祭神は木花開耶姫命也と云り、又此所より間遠からぬ大矢智村にも、櫻神社ありて此神を祭れり、是必よし有事なるべし、云々、さて布自神社としもいふは、則富士山に鎮坐る神なるをもて、かしこより移れる名なるべし、連胤按るに、当社は開耶姫命にて、富士山より移れる名には違ふまじ、されど桜神社をも同神といふはいかがあらん、從ひがたきこゝちす、猶次なる櫻神社の條考へ合すべし、又云、考証に、今在大矢智村を云れど、他に同案の書を見ず、こは同村なる櫻神社をも、俗に富士社といふよし見ゆれば混雑せしなるべし、故に論ぜず、

神社覈録



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