殖栗神社
えぐりじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】殖栗神社 伊勢国 朝明郡鎮座
          (旧地)殖栗神社(旧地)

   【現社名】殖栗神社
   【住所】三重県四日市市西村町2808
       北緯35度3分10秒,東経136度33分38秒
   【祭神】天児屋根命 (合祀)天照皇大御神 素盞嗚尊 市寸志摩比売命
       大山祇命 天穗日命 蛭子命 殖栗連 大土神 応神天皇

   【例祭】10月9日前後の日曜日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創祀年代は今詳らかではない
       明治6年3月村社
       同39年神饒幣帛料供進社の指定
       同44年現在社地に遷祀

   【関係氏族】殖栗連
   【鎮座地】この地は保々御厨の地
        もとは保々村大字市場字竹千代1784番地にあつた
        明治44年現在地に移転

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】
   【社殿】本殿神明造。
       拝殿・握舎・社務所・参集殿

   【境内社】祖霊殿・稲荷社

朝明川南岸保々中学校の北に接して鎮座する。
和銅2(709)年ごろに創建とされ、天平3(731)年の棟札がある。
此の地は保々御厨の地で神宮との所縁もふかい。
奈良の春日大社に仕えていた殖栗一族が、共通する祖先神たる「天児屋根命」と、その氏上「殖栗連(えぐりむらじ)」をお祀りしていることから、その氏族の名が社名として付けられたのである。
もとは保々村大字市場字竹千代1784番地にあつた。
明治44年現在地に移転。旧地の地番に春日神社がある。


殖栗神社

殖栗は衛具利と訓べし○祭神天児屋命、(考証、俚諺)○保々郷市場村(又は千栗村と云)に在す、(同上) 北勢古志云、此神社は保々の市場村に在て、里人は殖栗縣大明神とよぴて、産土神と持いつけり、さて又祭神は、俚諺抄、又或書などに天児屋根命也と云れど、例の拠を知らず、今此あたりの一名を、千栗ともいへば、古栗の木のいと多かりしかぱ、殖栗てふ名に有にもやあらん、連胤按るに、当社祭神こそ天児屋根ならめ、かくいふは、大和国春日の略記に、武雷神者有山於常陵鹿島、移御于伊賀国名張郡愛身郷、供奉者社司二人、舎人一人也、云々、時風秀行献御饗乏時奉備進栗矣、神慮甚当而賜殖栗姓、どあり是に因て思へば、当郡は常陸より伊賀に出御の道筋にして、此姓を賜ふも、伊賀の薦生中山にての事なれば、土地近くいにしへ栗の木の多かりしといふも、由縁なしとは申がたくや、故に今考証、俚諺抄の説に從ふ、
類社
大和國城下郡殖栗神社の條見合すべし

神社覈録



伊勢国INDEXへ        TOPページへ


学校情報