市街地の中の神社。 広永の上の宮に耳利神社、当地下の宮に耳常神社を祀る。 創祀年代は詳らかではない。 神官舟木氏が当地の下之宮に耳常神社を奉斎し、舟木氏の分れである下之宮の西脇氏が代々耳常神社を下之宮村の産神春日大明神と称して奉祀して来たという。 |
耳常神社 延喜式内 耳常神社 祭神 神八井耳命(かみやいみみのみこと) 由緒 創建年代は不明ですが、ご神体は平安時代の穏やかな造形が読み取れる木造男神坐像と、木造女神坐像の二体が祀られておりますとても古い神社です。 江戸時代「春日大明神」と称して奉祀されていました。 祭神、神八井耳命の後裔で、伊勢船木氏の子孫西脇氏が代々この神社の神主として守ってきました。 かつては、広永町にあった延喜式内社耳利神社(みみとし神社)祭神 神沼河耳命(かみぬなかわみみのみこと)を上社・上之宮と呼んだのに対して、この地にある耳常神社を下社・下之宮と呼んでいたのが地名の由来です。 明治41年(1908)、境内社山神 村社「耳利神社」を合祀。 尚、配祀、末社については石碑に刻まれています。 平成26年 下之宮町自治会 下之宮町氏子 社頭掲示板 |
木造神像 県指定有形文化財(彫刻) 本像は、耳常神社に伝来した、平安時代と室町時代の神像5躯です。 「男神女神坐像」は、材質、構造や作風が共通し、大きさが釣り合うことから一具の像とみられ、平安時代(10世紀末〜11世紀前半)に制作されたと考えられます。男神坐像は冠を被り、袍を着ています。女神坐像は、髪を頭頂で結い、左手に持物を持っています。「女神坐像」は、制作技法や表情から、室町時代に制作されたと考えられます。「神像」2躯は、表面が全体的に摩滅しているため性別等は不明ですが、現存する頭と体の比率や体形から、平安時代の制作と推測されます。 本像は、三重県内に残る数少ない平安時代の神像であるとともに、ひとつの神社に伝来した神像群として重要な事例です。 四日市市HP |