伎留太神社
きるたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伎留太神社 伊勢国 朝明郡鎮座

   【現社名】伎留太神社
   【住所】三重県三重郡菰野町切畑579
       北緯35度4分27秒,東経136度28分35秒
   【祭神】苅田姫命 (合祀)大山咋命 素盞嗚命 菅原道真
   【例祭】10月14日 秋季例大祭
   【社格】
   【由緒】創祀年代は詳らかでない
       永禄年中兵火を避けるために牛頭天王と称した
       明治42年5月多比鹿神社に合祀
       昭和24年2月再び切畑村の旧社殿に分祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「牛頭天王社」と称していた
   【社殿】本殿神明造白木桧皮葺
       拝殿・手水舎

   【境内社】

山中の小社。集落からは離れている。
創祀年代は詳らかでないが、近江に通ずる山中にあり、古来近江より八風峠をこえ、朝明川に沿つて北勢の平野に出る要衝に奉祀されたものであろう。
永禄年中の信長の兵火を避けるために牛頭天王と称したという。
江戸期切畑村内に天神社、牛頭天王社、山神社と三社があり、伎留太神社として祭られたのは、三社中の牛頭天王社である。
御巫清直は上記の内天神社に比定する傾きをみせている。
明治42年5月に多比鹿神社に合祀されたが、旧社殿はそのまま残されたので昭和24年2月に再び切畑村の旧社殿に分祀された。
本殿脇に「延喜式内社伎留太神社鎮座跡」の石碑がある、多比鹿神社に合祀されたとき建立されたもの。


伎留太神社

伎留太は假字也○祭神詳ならず○田光郷切畑村に在す、(俚諺)
北勢古志云、此神社は、徴古録、古谷草子、俚諺抄の類の書どもに、切畑村にあるよし云れど、凡此村には、天王社、牛頭天王社、山神社とて三所あれども、是ぞと云る伝へもなく、はたさも思はれざる也、故につらつら考るに、此村の西方なる山の上に、俗に神明社とよぴて、いと荒すさび左る一社あり、是ぞ則それならんかと思ひよれる事ある也、其山つらつら下にいふべし、抑此神社は、世にいと名高くおはしまして、其御社のます山をば、俗に八風峠とも、風越ともよびて、近江国君畑へ越る山路也、さて此神いかなる故にや、陶をいたく忌せ給ひて、其あたりを持通るだに祟あり、まして其処の土に埋むれば、いといたくたたらして、疾風忽に起りて石を飛し木を倒して、近ぎ村々はいふも更也、遠きあたり迄も崇りを蒙りて、海あれ風やみ難し、是をもて世に山師とか云やうのわろものども、蠣に皿などやうの陶を埋めて疾風を吹しめ豊年の妨をなす事あり、故我からの殿は、(桑名領歟)御領の内なれば更也、近江の彦根侯よりも、其境に近く、将共國人の当往来道なればとて、かなたこなたの民どもを設て、年毎に守らしめ給ふ事、いといとおごさか也き、云々、されば今もて陶を忌給ふ也とそ語り得たる、こはいとうきたる事にはあれども、総ての趣につきて能々考るに、是ぞ則伎留太神社にして、伊勢津彦神を祭れるなるべし、然いふ故は、風土記に、夫伊勢國者、神武天皇勅詔天日別命曰、國有天津之方、宜平其国、即賜標劒、天日別命奉勅東入数百里、其邑有神名曰伊勢津彦、天日別命問曰汝國献於天孫哉答曰吾見此国居住日久、不敢聞命矣、天日別命発兵欲戮其神、于時畏伏啓云、吾国悉献於天孫、吾不敢居矣、天日別命令問云、汝之去時、何以為験、啓云吾以今夜起八風吹海水乗波浪將東入、此則吾之却由也、天日別命令整兵窺之、比及中夜大風四起、扇挙波、光耀如日、睦國海共朗、遂乗波而東焉、云々と見えて、伊勢津彦は、風の事に名を得し神也、又此所を風越とも、八風峠ともいひて、今も風の御験いちじるき事、人の知るところ也、云々、借又、此処より少し北方、員弁郡篠立の山に岩屋ありて、世に風穴とよべるも、思ふに当時伊勢津彦神の住ましゝ所なるべし、さればこそ、風穴の名もあるなるベけれ、故此所の風越八風の風も、風穴の風も一ツにして、伊勢津彦神の風によしあると、今の神風によしあると、彼是ともにいとよく叶へるを思ふべし、云々、かゝれば此神社は、伊勢津彦神を祭れる事は疑なきを、伎留太神社也としもいふは、いさゝか拠なきに似たれど、古へ公よりも祭られて、神祇官帳にも載れる程の神社は、天下に名高く、御験ある限にこそは有けれ、凡伊勢國内北寄の所にとりて、現に御験いちじろき神は、多度神社と、此神社をおきては、又いづれの神そや、云々、然るを此神社のいかで、帳にだに洩れ給ふべきいはれあらんや、能思ひはかるべし、故是を以て祭神は、伊勢津彦命にして則伎留太神社ならんとは思ひ定めたる也、さらば今の切畑村は、本は伎留太也しを訛れるにもあるべし、云々(是より次に、伊勢津彦命と建御名方命は、同神異名の考説あれど、爰に用なければ挙ず、就て見るべし、)と云る当否は志らねども、深切なる考へなれば、後勘のため長文の煩しきを願みず載す、

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