集落の中央に鎮座する。 往昔、ここは吉田ヶ原と言っていた。その中の一〇丁四方松彬の生茂れる地を加富森と称しその森の中に創建という。加富大明神と呼ばれて崇敬されていた。 現在旧跡地には石碑が建てられており、また清水の湧出る泉の痕も見られるが、泉は道路拡張のため水脈が断たれた。旧地は現加富神社のほぼ南方、川の向いにある。 |
延喜式内加富神社略記 御祭神 素盞鳴尊 天饒速日命 外24柱 御祭日 例大祭10月10日 御由緒 千数百年の昔私達の祖先が日々の生きてゆく食糧を生みだす天地の恵みに感謝して神社を建て神をお迎えして産業の神厄除けの神として 信仰されていました。 今から約千年前の延喜年間醍醐天皇の御代に編纂された延喜式神名帳に記載されている神社を延喜式内社と云いその一社が加富神社である。 又正徳3年8月正一位加富神社と尊号す。 社頭石碑 |
加富神社 往昔此地ヲ吉田ケ原ト称ス其時此郷邊リニ松杉ノ生茂レル森アリ加富森ト称ス古老傳云其森ノ繁レル所四方六七町二余レリ然レトモ其界ヲ限ラスト云フ今亦計ル二十町ニモ余レリト云フ其所二榊ヲ立テ神籠ノシルシトス則其森二祀り奉り加富神社ト號ス其森ノ内二漏泉アリ其初テ神璽ノ榊ヲ立シ所ハ漏泉ノ地ヨリ六七町東二今榊田ト称スル地其旧跡ナリ当社祭禮ノ時必其清水ヲ汲取リテ御湯ヲ供メ其清水ノ霊地今猶存ス(略)永禄二年己未二月三日再建ス神供山へ當社ノ供料二仮屋ヲ建テ稻ヲ積置ケル故ニ其地ヲ今ミソノ山ト云天文年中神供山ノ西ノ小山ニ遷座シ奉ル今ノ社地是ナリ(略) 由緒書 |