江田神社
えだじんじゃ
広幡神社 に合祀
所在地 社名















   【延喜式神名帳】江田神社 伊勢国 三重郡鎮座

   【現社名】広幡神社に合祀
   【住所】三重県三重郡菰野町大字菰野2770
       北緯35度0分27秒,東経136度30分24秒
   【祭神】大日霊命・倭比売命(合祀前)
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】垂仁天皇18年6月16旧江田谷に宮造仕奉
       永禄年中三岳寺兵火の節、今の地へ御遷坐
       明治40年11月16日平岡神社に合祀
       同43年2月15日広幡神社に合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧地:湯ノ山温泉駅西200m道北
        永禄年中三岳寺兵火の節、旧地へ御遷坐
        明治40年11月16日平岡神社に合祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】
       

   【境内社】

金渓川南岸の山麓に鎮座。集落よりは対岸となる。
広幡神社は旧くは正八幡宮と称し、寛永7年8月15日菰野藩主従五位下土方丹後守雄氏公石清水八幡宮より勧請し、爾来同家の鎮守社となる。明治3年10月藩庁及管内鎮護の社となる。
江田神社は垂仁天皇18年6月16日江田谷に宮造奉仕という。
永禄年中兵火のため近鉄湯の山線山辺駅付近に遷座した。
明治40年11月16日に三重郡菰野村字東堀谷鎭座の村社平岡神社に合祀され、さらに同43年2月15日に菰野村字広幡鎭座の郷社広幡神社に合祀された。


由緒

旧くは正八幡宮と称し、寛永七年八月十五日菰野領主従五位下方丹後守雄氏公石清水八幡宮より勧請し、以来同家の鎮守社となる。
明治三年十月藩庁及管内鎮護の社となる。
合殿の諏訪神社は菰野郷草創の社で村中里民の産土神なりしが慶長年中土方家並に藩士の産の産土神となる。慶長十三年三月領主雄高公の命に依り諏訪神社を南山に奉遷す。 明治4年10月23日菰野県庁の命に依り諏訪神社を正八幡宮に合祀して広幡神社と改称し、明治6年三重県庁より第一大区四五六小区郷社と定められる。
明治40年より村内全部の郷社一村社倭文神菰野神社平岡神社、日吉神社、江田神社、須賀神社、豊岡御厨神社、春日神社を合祀する。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




広幡神社

祭神
誉田天皇を主神とし、事代主神他二十八座を奉斉す。
由緒
旧くは正八幡宮と称し、寛永7年8月15日菰野領主従五位下土方丹後守雄氏公石清水八幡宮より勧請し、爾来同家の鎮守社となる。
明治3年10月藩庁及管内鎮護の社となる。合殿の諏訪神社は菰野郷草創の社で村中里民の産土神なりしが慶長年中土方家並に藩士の産土神となる。慶長13年3月領主雄高公の命に依り諏訪神杜を南山に奉遷す。明治4年10月23日菰野県庁の命に依り諏訪神社を正八幡宮に合祀して廣幡神社と改称し、明治6年三重県庁より第一大区四五六小区郷社と定めらる。
明治40年より村内全部の郷社一村社倭文神、菰野神社、平岡神社、日吉神社、江田神社、須賀神社、豊岡御厨神社、春日神社を合祀する。
廣幡神社旅所 
大字菰野字清水1220
倭文神社旅所にて神輿渡御して祭礼執行す。
古記に依れば元文4年神輿渡御が見え3月16日より三日間祭典を行う寛政年聞より真榊傘宝剣提灯等加はり、鉾金鉾が明治28年後伶人舞姫等行列に加はる。明治40年倭文神社を廣幡神社へ合祀し、草競馬が行われ、庄部祭と其名北勢に高し。

由緒書



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