江田神社
えだじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】江田神社 伊勢国 三重郡鎮座

   【現社名】江田神社
   【住所】三重県四日市市西坂部町3653
       北緯34度59分56秒,東経136度35分20秒
   【祭神】五十功彦尊
       (合祀)大鷦鷯天皇 大日霊貴尊 誉田別尊 天渟中原瀛真人天皇
       建速須佐之男命 大山祇命 天照大御神

   【例祭】10月11日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳
       弘安4年(1281)棟札に「奉安江田大神宮内」
       天正3(1575)年織田信長の軍勢に攻められ全焼
       明治39年12月神饌幣帛料供進社に指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「江田大明神」「春日」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・社務所・神饌所

   【境内社】

海蔵川南岸近く住宅地の中の神社。
祭神は五十功彦命で、日本武尊の弟である。日本武尊とともに各地に転戦し、のちこの坂部の地に留まり、国造として耕地を開墾して統治した。日本武尊が伊吹山で妖神と戦い病になり帰る途中にこの近くの御足洗池にて足を洗い、「吾が足三重にぞ勾る」と言ったという伝説があるが、これも五十功彦命を訪ねるためであったと、言われている。
 かつては数十町歩にわたる七堂伽藍が建っていて、楠木正成が戦勝祈願のため詣でたという。
天正3(1575)年織田信長の軍勢に攻められ全焼し、その後現在の地に再建という。
鎮守府將軍藤原秀郷公の着料と伝えられる甲が一基ある。


四日市市指定無形文化財 御館獅子舞

種別 : 四日市市指定無形文化財(芸能)
申請 : 昭和48年11月27日 四日市市無形文化財認定申請
指定 : 昭和49年4月17日 四日市市教育委員会指定文化財認定
所在地 : 三重地区西坂部町
管理者 : 御館獅子舞保存会
由来並伝承 : 四日市市西坂部町に鎮座する江田神社に伝わる御館獅子舞神事はその昔、椿大神社を原点として発し、幾多の変遷を経て今日に伝承されたものと考えられる。  伊勢の国、一之宮椿大神社記、椿岸神社縁起、山本神主家記「椿大明神獅子舞御祈祷之由来」等の伝承と史料によると、強烈優秀な神傑が出現して百獣の王、獅子を自由自在に馴致教導し、之を神ながらの祓(はら)いきよめに努力奮斗させるさまをあらわした舞である。獅子舞神事は獅子舞神楽(かぐら)と稱し、庶民の間に昔ながらの神事を重んじ、氏神の祭礼、産土(うぶすな)の神の祭りを盛んにし、祈年行事の獅子舞神楽として継承されたものだという。
 江田神社は伊勢国刑部郷祖といわれる五十功彦命(いとこひこのみこと)を主祭神とする古い伝統をもつ延喜式内社の一つであることから、古代においては伊勢の国一の宮である椿大神社と交渉を持つ深いつながりがあったものと思われ、御館獅子舞保存会所蔵の獅子頭は山本村と同じ椿の作で高倉院天皇が春日の佛工に勅し刻せしめて、一体を江田の社に勅納せられたとの伝説がある。
 なお本体は天正年間以前に破損し、西坂部の立長に面塚、落川原に鉾(ほこ)塚として西坂部町の田の中の小森に埋められていた。耕地整理により現在、三重交通バス坂部口バス停の裏に碑が建立されている。
 また現在の獅子頭も山本の椿大神社のものと形状、形質共に同一であり、獅子舞そのものもその形式は山本の舞と基本的にはほとんど同一である。
 獅子頭は近時損傷するところがあり、現在のものを参考にして、ほとんど同一のものを新調した。だから現在お頭は新、旧2個を持っている。
 ちなみに獅子舞の流儀はいくつかあるが、この地方では俗に山本流、箕田(みだ)流、稲生(いのう)流の三派があり、西坂部御館に伝わる流儀はもちろん椿神社に本体を保存する山本流の舞作法によるものである。

http://www4.cty-net.ne.jp/~mie/rekishi-shiseki/kyoudoshi=2/203/203.html



延喜式内江田神社

江田神社は、『廷喜式神名帳』(927年)に記載されていた式内社である。創祀年代は不明であるが、主たる祭神は第12代景行天皇の皇子で、日本武尊の弟五十功彦命である。五十功彦命の後裔(刑部造か)が、代々神社を守護されたという。古くは、奥宮、中宮、下宮があり、奥宮には天王寺という七堂伽藍の大寺があったと伝えられている。天正3年(1575年〉織田信長の配下、滝川一益の兵火に遭い、伽藍、宝庫のすべてを焼失し、その後江田神社は、下宮のあった現在地に遷されたという。明治41年(1908年)国の一村一社の方針を受け、西坂部、東坂部地内のすべての神社、山の神を合祀することとなった。(東坂部町の刑部神社は、昭和5年元の地に遷座)境内には、白龍大明神を祀る樫の木や領主9代目丹羽小左工門正親の顕彰碑などがある。
平成13年12月三重ふるさと散歩道整備委員会

社頭掲示板



鏡淵神社・天白社

この地区の伝説では、「その昔、倭姫命が天照大神を奉り、桑名郡野代宮から鈴鹿河曲宮に遷幸した折、小杉から船で海蔵川を遡る途中、ここで川の中に鏡を落とされた。その鏡を拾い上げた後もその場所が光り輝いていたので、『鏡淵』といった。」と伝わっている。海蔵川右岸の流れの中には、白い大きな岩盤があり、その端は深い淵になっていて「鏡淵」と呼ばれていた。その神秘性や水の事故などもあり、昔は川遊びする子供たちから恐れられていたが、平成ll年(1999年)海蔵川河川改修により「鏡淵」もなくなった。「鏡淵神社」は、明治41年(1908年)「延喜式内江田神社」(西坂部町3653)に合祀された。そこに建てられていた「鏡淵神社」の碑は、昭和61年(1986年)12月江田神社境内に移された。
また.昔から「天白さん」の呼称で親しまれてきた森と社が、かつてこの南の水田一帯にあった。「天白社」は、川の近辺や橋の袂に祀られることが多く、水の神・農耕の神ともいわれている。毎年9月1日には、豪華な絵の「掛け行灯」を飾る「天白祭」でにぎわっていたと伝えられているが、今では森や社の跡もなく、往時を偲ぶものは何も残されていない。
江田神社では、「鏡淵神社」の祭を「天白祭」として、毎年8月の最終の日曜日に祭礼が執り行われている。
鏡淵神社(無格社)西坂部字垣内4717
【祭神 大日霊貴命 オオヒルメムチノミコト(天照大神)】
乎成15年11月三重ふるさと散歩道整備委員会

社頭掲示板



江田神社

江田は衣太と訓べし〇祭神詳ならず〇西坂郡村に在す、(考証、俚諺)今春日大明神と称す、
考証云、此郷名刑部、(於佐加倍)坂部刑部之略語、五十功彦命伊勢刑部祖、即日本武命弟也、と云り、俚諺此説に從ふ、いまだ是非を弁へず、
類社
日向國宮崎郡江田神社

神社覈録



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