集落の中の神社。 『勢陽五鈴遺響』には「西土師二八八剣宮・・・」とあり、土師神社と称する以前は八剣宮と呼ばれていたようである。 同一村に土師神社と同名の神社で、祭祀上の連継があると考えられるが、実際には何の関係もないようである。 明治41年当を含む村内七社を土師神社に合祀し、昭和26年分祀された。 |
由緒 当社の創祀並びに由緒については詳にし難いが、所蔵の棟札から、明暦4年(1658)以降土師神社と称していることが確認されている。『勢陽五鈴遺響』には「西土師二八八剣宮・・・」とあり、土師神社と称する以前は八剣宮と呼ばれていたようである。当社が土師神社と称した由来は不明であるが、土師村内の中土師の大宝天社も土師神社と称したものである。「土師」の地名が「土師器」に由来する伝承は古く、又当地域内から今日神宮で使用されている祭器土器に類似した土器片がしばしば採集されていると云う報告がある。土師村が古くから土師製作の地域であり、式内土師神社を考える上で土師聚落の存在は大きい。当社の現在の鎮座地は中土師の土師神社と250mしか離れていない。明治41年には同村内中土師の村社土師神社に合祀されたが、昭和26年(1951)氏子、崇敬者の総意により土師神社より分祀され、西土師神社として現在に至っている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |