海岸近く県道6号線の西に鎮座する。 社の西2町歩許りを深田というのが、郷名、社名の起こりであろう。 深田郷に古来鎮座した神社として異論がない。 |
由緒 創祀の事情や勧請の年代は不詳である。延喜式内社の一であるから、往古よりここに鎮座あったものと考えられ、社の西二町歩許りを深田というのが、郷名、社名の起こりであろうと一書に見えている。『神鳳鈔』『外宮神領目録』に共に「若松御厨」の字があり、更に、この社を古く「神明宮」と言っていたことについて『式社検録』は「其等ノ御厨ノ為ニ所祀ノ神明社ナルベシ然ルニ式社ニ配スルハ如何アラムト思惟スレド(中略)神明ハ後ニ合祭セルニソアルヘキ」と述べている。天正15年(1587)、慶安2年(1649)、元禄10年(1697)、享保6年(1711)の棟札が残されており、造営の経緯が知られる。明治41年、村内の無格社17社を合祀して現在に至っている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
深田神社 深田は布加多と訓べし、和名鈔、(郷名部)深田、(假字上の如し)〇祭神詳ならず〇北若松村に在す、(考証、俚諺) 神社覈録 |