鈴鹿川南岸近く、集落の中に鎮座する。 承応2年(1653)の棟札に「夜夫多神社」とある。 藤ケ森に古い宮の森があり、夜夫多神社の古跡とされている、往古洪水のため現地に遷という。 当社を酒井神社(奄芸郡鎮座)に比定する説もある。 |
由緒 延喜式内社にして醍醐天皇の代(今から1,087年前)延喜式神名帳にすでに記載されている。延宝3年9月(321年前)棟札には鈴鹿郡甲斐薮田村とあり、宝歴9年8月(230年前)の上進社記に藪田神社とあり、古称名夜夫多神社、矢太村とあり、この社号は地名をもってすとあり、藤ケ森に古い宮の森あり、夜夫多神社の古跡なり、往古流水して現地に移したり、とある。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
夜夫多神社 夜夫多神社は、延喜式内社にして延喜5年(905)から延長5年(927)に作成された延喜式神名帳にすでに記載されている。延宝3年(1673)9月棟札には鈴鹿郡甲斐薮田村とあり、宝歴9年(1759)8月の上進社記に藪田神社とあり、古称名夜夫多神社、矢太村とあり、この社号は地名をもってすとあり、藤ケ森に古い宮の森あり、夜夫多神社の古跡なり、往古流水して現地に移したり、とある。 御祭神は、大己貴命(おおなむらのみこと)。 牧田地区地域づくり協議会 https://suzuka-makita.com/yabuta-shrine |
夜夫多神社 夜夫多は假字也○祭神詳ならず〇甲斐村に在す、(考証、俚諺)〇神鳳抄云、夜夫多御厨、 類社 伊賀国阿拝郡陽夫多神社 神社覈録 |