街中、4世紀に古墳が築かれその上に奉祭という。 社伝によれば建暦2年(1212)3月3日の「可停止京畿諸国建立諸社末社」宣旨以前の創祀とされている。 須賀の地は室町時代康暦元年(1379)に東大寺八幡宮に寄進されている。本来この地には阿自賀神社がありこの時点で大塚の上に八幡宮を勧請して社殿を建てたとわれている。 |
阿自賀神社由来 当神社は我が国で水稲農業が始まる西暦紀元前2乃至1世紀には創建されていたであろう。 紀元4世紀頃には現在の古墳が築かれ、その後墳丘上に社殿が建立された。 その時期は明白ではない。 記録上では平安前期の延長5(927)年に成った延喜式神名帳がその初見で、3132座の式内社の一社である。 室町時代、将軍足利義満、足利義持公はこの須賀の地を東大寺八幡宮に寄進。八幡宮を勧請し武運を祈願した。 戦後期末期から17世紀初めには成田隼人正の城となり、のち五万石の神戸城主一柳貞盛は氏神と崇め大坂の役に際し弓矢を奉納して出陣。弓矢八幡宮とも呼ばれたが江戸時代には須賀八幡宮と言われて近郷にも信者を得た。 明治時代になり旧名の阿自賀神社となり今日に至る。 社頭石碑 |
阿自賀神社 阿自賀は假字也○祭神詳ならず○須賀村に在す、(考証、俚諺) 神社覈録 |