鈴鹿川北岸、鈴鹿橋を見下ろす尾根の中腹にある。 永禄10年-11年(1567年-1568年)から元亀年間(1570年-1573年)にかけて、高岡城の没落により、兵火に罹り、旧記などを焼失した。 江戸期現地(街道西)には熊野神社あり、旧地(街道東)には八王子社があった。 どちらが式社の後か不詳。 明治初期には八王子社が式社とされていた。 明治42年熊野神社をふくむ村内各社を合祀。 大正6年社地を現在地に移転。 |
高岡神社 高岡は多加乎加と訓べし○祭神水神高おかみ、(考証、俚諺)〇高岡村に在す、(雑記〇天野信景云、今今宿村ノ四ノ岡ニ薬師堂アリ、又山ニ熊野社アルハ則岡神社也) 類社 越前國敦賀郡高岡神社、播磨國播磨郡高岳神社、 神社覈録 |