久安3年(1147)辻喜右衛門豊武により勧請されたと伝える。社伝によれば、菅原道眞公九州太宰府へ配流のみぎり、豊武の祖舎人兵衛土師兼重は公に従い仕えた。ある時菅公自ら木像を作り兼重に賜わり公薨去の後、兼重は故郷に帰りこの像は長く子孫に伝えられた。この縁由により豊武は国分村に祠を建て菅公を祀ったと云う。 御巫清直は鈴鹿市国分町の菅原神社の裏に「堰ノ谷」という字(アザ)があることから「飯ノ谷」として、菅原神社を指示する説があることを挙げている。 国分の天神さんと親しまれている菅原神社は,しだれ梅の名所として有名。 鳥居横や境内に植樹されているしだれ梅は,その数約350本にもなり,梅林内を歩けば鮮やかな桃色とほのかな甘い香りに包まれる。 例年3月上旬から下旬にかけて見ごろを迎える。 菅原道真坐像(平安時代後期 県の文化財)をご神体とする。 御巫清直は当社を大鹿三宅神社に比定している。 |
木造天神坐像 昭和46年3月17日指定 菅原神社 冠を載き、笏を持つために胸の前で手を組み、襟の高い着物を着ている。伏し目のまぶたはややふくれ気味で長いひげなと温容あふれる風貌がよく表現されている。 写実的な顔に比べて着物の部分は簡略化されているが、全体の静かな姿は藤原期の特徴が感じられる。像高52cm、桧材の一木造りで平安時代末期の作と考えられる。(両袖から膝のあたりは、虫害のため腐食が甚だしい。 当神社のご神体であり、菅原道真の像であると伝えられている。 社頭掲示板 |