鈴鹿トンネルの南に鎮座する。 もと三子山に鎮座したが、度々の水害・火災に会い、永仁5年(1297)に現地に移つたと伝える。 当社の鎮座する坂下村は、東海道随一の難所である鈴鹿峠に近い宿場町であつたが、古代の生活の基盤である水田耕作の可耕地にめぐまれない地域であつて、古代において集落が作られることは考えられない地であろう。 古来鈴鹿大明神、鈴鹿権現とも呼ばれ、その縁起は坂上田村麻呂を助けた鈴鹿御前を祀ったともいわれている。 鈴鹿明神と呼ばれ、水害や火事の神様である。神社の鳥居の近くに鈴鹿流薙刀術発祥の地とかかれた石碑が立っている。 2002年に放火により瓦解した。 2007年再度訪問したときは未だに本殿の再建はなされておらず、本殿跡地は更地となっている。 |
片山神社 片山神社は延喜式内社で、元は三子山に祭祀されていたが、永仁2年(1294)に現在地に移された(片山神社縁起)とされる。明治以前は「鈴鹿明神」「鈴鹿権現」等と呼ばれ、「室町殿伊勢参宮記(1424)」にも「鈴鹿姫と申す小社の前に」と記されている。東海道はこのあたりから「鈴鹿坂八丁二十七曲り」の急坂が始まり「東の箱根峠、西の鈴鹿峠」と言われた街道の難所、鈴鹿峠へと続く 平成24年3月 亀山市 社頭掲示板 |
片山神社 片山は加多夜萬と訓べし○祭神四座、瀬織津姫命、倭姫命、氣吹戸主命、速佐須良姫命、一説大比古命、(社伝)〇鈴鹿山に在す、今鈴鹿御前と称す、(俚諺)○弘仁元年勅使記云、鈴鹿姫坐路頭之北辺、 類社 尾張國春日井郡、同国山田郡片山神社、各一座近江國淺井郡片山神社二座、 神社覈録 |