忍山神社
おしやまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】忍山神社 伊勢国 鈴鹿郡鎮座
   【延喜式神名帳】布気神社 伊勢国 鈴鹿郡鎮座
          (旧地)忍山神社【旧地】

   【現社名】忍山神社
   【住所】三重県亀山市野村町4-4-65
       北緯34度51分18秒,東経136度26分13秒
   【祭神】猿田比古命 (配祀)天照皇大神 (合祀)倭姫命
       (配祀)太玉命 天児屋根命 (合祀)天照皇大神荒魂 大比古命
       乙若子命 大若子命 天鈿女命 大山祇命 豊宇賀乃売命 神吾田鹿葦津姫命
       饒速日命 大水口宿根 忍山宿根 建速須佐之男命 大名牟地命 伊弉諾神
       伊弉冉神 木花開耶姫神 市杵島姫命 菅原道真 伊香我色雄命

   【例祭】10月14日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】皇大神の行宮である忍山神宮の旧跡とする
       文明4年(1472)兵火を受けて焼亡
       享保18年(1733)本社拝殿の修理
       安永9年(1780)9月亀山城主石川総博社領寄進
       明治初年村社
       同41年村社忍山神社と単称

   【関係氏族】
   【鎮座地】野村町の東北隅に愛宕山と呼ばれる海抜90mの丘陵があり
        この南麓地点が旧社地と推定されている
        文明4年(1472)兵火を受けて焼亡
        一時兵火を避けて白木山に御神体を奉遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「白髭大明神」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・社務所・火焚舎

   【境内社】

鈴鹿川の北岸近く、集落の南はずれに鎮座する。すぐ南に関西本線の線路が走る。
野村町の東北隅に愛宕山と呼ばれる海抜90mの丘陵があり、この南麓地点が旧社地と推定されている。
この旧地に神宮寺として神福寺と共にあったが、文明4年(1472)に、兵火のたことごとく灰燼となった。いま野村にある慈恩寺は神福寺の遺蹟とされている。
その後仮殿に祀られた。永禄の戦乱には、一時兵火を避けて白木山に御神体を奉遷したといわれ、中世におけるその荒廃は著しかつた。
この地は伊勢大神の御遷幸の地であるとされ、倭姫命が天照大神を奉じ、桑名野代宮から鈴鹿に來られた際、この忍山にて神宮を奉斎した忍山神宮の旧跡という。
日本武尊の妃弟橘媛(おとたちばなひめ)は忍山神社祀官忍山宿弥(オシヤマノスクネ)の娘と伝えられている。
崇神天皇7年(紀元前91年)の御代に勅命をもって、伊香我色雄命に猿田彦を鎮座せしめられた。伊香我色雄命の子、大水口宿禰の子孫(80代)相継いで神主となり明治に至る。
布気皇館太神社を論社とする説もある。
式内社調査報告も「式内布気神社は現忍山神社である公算が強いように思う」としている。


鈴鹿小山の宮(忍山宮)倭姫命御巡幸地

鈴鹿小山の宮(忍山宮)倭姫命御巡幸地
垂仁天皇(第11代天皇)御代に皇女倭姫が御杖代となって、天照皇大神の鎮座の地をもとめて、大和の国から忍山に御遷幸になった。その際神宮を造営し御鎮座になること10年、なおも南へ遷り坐したという。その跡をかしこんで大神を奉祀した。

社頭掲示板



忍山神社

忍山は於之夜萬と馴べし○祭神詳ならず〇野田村の内忍山村に在す、(考証、俚諺)○倭姫世記云、垂仁天皇14年乙巳、還幸于伊勢岡桑名野代宮、四年奉齋、次川俣縣造祖大比古命参相支、汝國名何問賜、白久、奈基波志忍山卜白支、然神宮造奉令幸行云々、
神宮啓蒙に、倭姫世記の故事を挙て、大比古命鈴鹿社に在すと云るは、其拠をしらず、

神社覈録



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